性翁寺|足立区扇にある浄土宗寺院

猫の足あとによる東京都寺社案内

性翁寺|足立庄司宮城宰相が開基、江戸六阿弥陀、荒綾八十八ヶ所

性翁寺の概要

浄土宗寺院の性翁寺は、龍燈山貞香院と号します。性翁寺は、神亀3年(726)行基菩薩が庵を開いたのに始まり、足立庄司宮城宰相が開基となり、正誉龍呑和尚が明応元年(1492)開山したといいます。慶安元年(1648)には寺領10石の御朱印状を拝領したといいます。江戸六阿弥陀木余り、荒綾八十八ヶ所霊場47番札所です。

性翁寺
龍燈山貞香院性翁寺の概要
山号 龍燈山
院号 貞香院
寺号 性翁寺
住所 足立区扇2-19-3
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来坐像
葬儀・墓地 性翁寺木余堂
備考 江戸六阿弥陀木余り、荒綾八十八ヶ所霊場47番札所、新規墓地受付中



性翁寺の縁起

性翁寺は、神亀3年(726)行基菩薩が庵を開いたのに始まり、足立庄司宮城宰相が開基となり、正誉龍呑和尚が明応元年(1492)開山したといいます。慶安元年(1648)には寺領10石の御朱印状を拝領したといいます。

足立区教育委員会掲示による性翁寺の縁起

京都知恩院を総本山とする浄土宗の寺院。寺伝では神亀3年(726)行基菩薩が庵を開いたのが始まりで、足立荘司宮城宰相が開基となり、明応元年(1492)には正誉龍呑上人が開山となったと伝える。江戸時代にはいると阿出川対馬守貞次が中興開基となり慶安元年(1648)には三代将軍徳川家光から朱印地10石を与えられる格式を持った。
本尊の木像阿弥陀如来坐像は古代の作成で、東京都指定文化財。この本尊は悲運の女性・足立姫の菩提を弔うため行基菩薩が作成した六阿弥陀の余りの木で作られたという伝説を持つ。ここから広く女人往生の「木余り寺」として知られるようになり、多くの江戸・東京庶民の参詣地となった。
また寺内には永禄13年(1570)の阿弥陀三尊種字板碑や、当寺の由来を記した縁起があり、いずれも足立区登録有形文化財。ほかに六阿弥陀伝説を描いた絵巻きを伝来している。当寺は、このように様々な歴史と文化財に彩られた区内有数の寺院である。(足立区教育委員会掲示より)

「ブックレット足立風土記西新井地区」による性翁寺の縁起

性翁寺(扇2−19)
通称「木余り如来」として知られている浄土宗の寺で、正式には龍燈山貞香院性翁寺といいます。性翁寺は六阿弥陀伝説を由緒に持っています。伝説によれば、寺の開山は正誉龍呑和尚、開基は足立庄司宮城宰相とされています(寺に伝来した古文書によれば開山は1492<明応元>年)。六阿弥陀とは、奈良時代の高僧行基が熊野の霊木から彫ったと伝えられる6体の阿弥陀如来のことで、それらが安置されている寺が、六阿弥陀一番〜六番と称する江戸近郊の6ヶ寺です。性翁寺は、6体を彫った余り木で作ったものという「木余り如来」(口絵)を安置しており、いわば六阿弥陀の番外寺院といえます(六阿弥陀伝説の詳細についてはブックレット足立風土記江北地区参照)。
「新編武蔵風土記」によると、北条氏滅亡後、その家臣であった阿出川対馬守貞次によって再興された性翁寺は、1649(慶安2)年、3代将軍徳川家光より、朱印地として10石の寺領を拝領し、以後も歴代将軍により安堵されています。(「ブックレット足立風土記西新井地区」より)

新編武蔵風土記稿による性翁寺の縁起

性翁寺
浄土宗、埼玉郡岩槻浄國寺の末、龍燈山貞香院と號す、本尊弥陀行基の作なり、昔此邊六阿弥陀の像彫刻の時、根元の餘木を以て彫刻せし像なれば、根元阿弥陀と稱すと云、六阿弥陀の由来は小臺村の條に出したれば合せ見るべし、寺領十石慶安元年御朱印を賜ふ、開山行蓮社正誉龍呑、明応七年二月十五日寂す、開基は足立庄司宮城宰相と云傳ふ、此人「宮城家譜」及び他の書にも所見なし、かの家譜を見るに、豊島二郎吉國が子六郎政業(又の譜には宮城中務と載せたり)當所を領してより、宮城を氏とせりと云ときは、此人の開基なるにや、されど天正十七年卒せし人なれば、開山より少しおくれし人なり、よりて思ふに中興の檀越をただちに開基と稱すること、他にも其例あれば、是も實は中興の開基なるも知るべからず、其後阿出川対馬守藤原貞次と云者、中興開基せり、此人は北條氏の家人なりしが、彼家没落の後、當村に土着し、元和二年三月廿三日死す、法諡を性翁院覚誉相圓と云、子孫今村内に住すれど、家系及び記録なければ詳ならず、又云開闢の頃は荒川の水除堤の外にありしが、何の頃か今の地へ移れりと云。
古墳。境内にあり、菩提樹として植てしるしとせり、是は足立庄司の女足立姫の墓なりとて、恵曜禅定門、永禄十三年八月十五日と彫たる古碑をたつ、かの女の碑ならざることは彫せし法諡にても知るべし、寺傳によるに足立姫の法諡を蓮相浄地と號し、卒年は詳ならず、父庄司が此女の為に六阿弥陀を彫刻せしことは、小臺村の條に出したればここには略す。(新編武蔵風土記稿より)

足立風土記資料寺院明細による性翁寺の縁起

本寺埼玉県下岩槻浄国寺末 東京府管轄武州足立郡宮城村 龍燈山性翁寺
明応2年正誉龍呑和尚開基、余不詳。
第33世住職澄心、壬申55歳。神奈川県下大師河村池上潤蔵二男、天保2年6月16日東京四ッ谷法蔵寺ニ於テ得度。
境内、3反3畝2歩。檀家、50軒 (足立風土記資料寺院明細より)

性翁寺所蔵の文化財

  • 永禄13年(1570)の阿弥陀三尊種字板碑(足立区登録文化財)
  • 当寺の由来を記した縁起(足立区登録文化財)

性翁寺の周辺図