下谷中稲荷神社|足立区谷中の神社

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下谷中稲荷神社|江戸期に開拓された長左衛門新田の鎮守

下谷中稲荷神社の概要

下谷中稲荷神社は、足立区谷中にある稲荷神社です。下谷中稲荷神社の創建年代は不詳ですが、江戸期に開拓された長左衛門新田の鎮守として創建したといいます。

下谷中稲荷神社
下谷中稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 倉稲魂命
相殿 -
境内社 -
住所 足立区谷中1-12-8
備考 旧長左衛門新田鎮守



下谷中稲荷神社の由緒

下谷中稲荷神社の創建年代は不詳ですが、江戸期に開拓された長左衛門新田の鎮守として創建したといいます。

「ブックレット足立風土記花畑地区」による下谷中稲荷神社の由緒

旧長左衛門新田の鎮守で、祭神は、宇迦之御魂命です。旧嘉兵衛新田との村境あたりに位置し、旧長左衛門新田の北端にあたるところにありました。長左衛門新田は、村の戸数が少なく、神輿もありませんでした。そのため、隣村・五兵衛新田の稲荷神社(註:綾瀬稲荷神社)の祭礼には、村祭りとして村の若者が出て、五兵衛新田の稲荷神社神輿を担いだといいます。
薬師堂
本尊は、薬師三尊像です。また、誕生釈迦仏、阿弥陀如来、不空絹索観音、十二神将の諸像があります。もとは、長左衛門新田開発者の吉野家墓地にありました。土地区画整理事業後、稲荷神社境内に移され、新築されたものです。
江戸時代後期に編纂された「新編武蔵風土記」には、長左衛門新田に、名主長左衛門所持の「良朔庵」があったことが記されています。また、吉野家に「明ノ薬師良朔庵」と彫られた木版が残されていることから、かつては「良朔庵」、「明ノ薬師良朔庵」などといわれていたと考えられます。
また別に「秀永寺」と呼ばれていたともいいます。区画整理以前、吉野家墓地に堂とともに、開基から七世までの歴代庵主の墓がありました。その開基の墓石台座には「元秀英寺歴代住職墓誌」板が埋め込まれています(現在は、綾瀬7丁目・龍慶寺に移されています)。
薬師堂は、信仰の場であるとともに村人の寄合の場でもあり、田畑の耕作、村の行事、行政的なことも話し合われました。また、村で続けられてきた八日念仏講も行われています。(「ブックレット足立風土記花畑地区」より)

新編武蔵風土記稿による下谷中稲荷神社の由緒

(長左衛門新田)稲荷社
村の鎮守なり、村持
良朔庵
弥陀を安ず、名主長左衛門持なり(新編武蔵風土記稿より)

下谷中稲荷神社の周辺図