薬師寺|足立区綾瀬にある真言宗豊山派寺院

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宝珠山薬師寺|関東九十一薬師霊場、荒川辺八十八ヶ所、荒綾八十八ヶ所

薬師寺の概要

真言宗豊山派寺院の薬師寺は、宝珠山普門院と号します。薬師寺は、常陸国那珂郡根本村の根本佐右衛門が先祖伝来の不動明王を背負い、諸国遍歴の途次、この地に錫を止め賢明と共に一寺を建て、不動明王を本尊として不動院を開き、賢明法師が寛永9年(1632)開山したといいます。水戸光圀が江戸参府の折に眼の痛みを治したとの言い伝えがあります。荒川辺八十八ヶ所霊場52番、荒綾八十八ヶ所霊場19番、関東九十一薬師霊場14番札所です。

薬師寺
山号 宝珠山
院号 普門院
寺号 薬師寺
住所 足立区綾瀬1-14-20
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 荒川辺八十八ヶ所霊場52番、荒綾八十八ヶ所霊場19番、関東九十一薬師霊場14番



薬師寺の縁起

薬師寺は、常陸国那珂郡根本村の根本佐右衛門が先祖伝来の不動明王を背負い、諸国遍歴の途次、この地に錫を止め賢明と共に一寺を建て、不動明王を本尊として不動院を開き、賢明法師が寛永9年(1632)開山したといいます。

足立区教育委員会掲示による薬師寺の縁起

真言宗豊山派宝珠山普門院薬師寺と号す。 創建は寛永9年(1632)、開山は賢明法師と伝えられる。常陸国水戸在の根本村の佐右衛門が、先祖伝来の不動明王を背負い、諸国遍歴の途次、この地に錫を止め賢明と共に一寺を建て、不動明王を本尊として不動院を開き、仏道に精進した。のち、当地にあった薬師如来を安置する仏堂を付属堂とし、近隣に同名の寺院あるともって薬師寺と改称した。
元禄元年(1688)9月8日没の助左衛門の位牌を代々供養しているが、この裏面に田畠9反3畝を寄附したことを誌してある。この田畠が寺の維持に寄与すること大きなものがあった。
薬師堂の薬師如来は眼疾に効験があり、水戸光圀江戸参府の折、眼の痛みを治したと伝えている。堂の正面上部の「医王堂」の扁額は千住の接骨医、名倉氏初代の書である。また、堂内には絵馬が多数ある。
弘法大師霊場荒川辺八十八ヶ所霊場第52番、荒綾八十八ヶ所霊場第19番、弘法大師二十一ヶ所霊場第15番の札所である。
また境内から出土した文正2年(1467)銘阿弥陀三尊板碑を保存している。(足立区教育委員会掲示より)

「ブックレット足立風土記綾瀬地区」による薬師寺の縁起

薬師寺(綾瀬1−14)
賢明法印と常陸国那珂郡根本村の根本佐右衛門が共に創建したと伝えられますが、その年代は1604(慶長9)年とも1632(寛永9)年ともいわれています。真言宗豊山派の寺で、本尊は、その根本佐右衛門が背負って諸国行脚したという不動明王像です。(「ブックレット足立風土記綾瀬地区」より)

新編武蔵風土記稿による薬師寺の縁起

(伊藤谷村)薬師寺
新義真言宗、本木村吉祥院門徒、寳珠山普門院と號す、本尊不動を安ず。
薬師堂。恵心の作れる薬師を安せり。(新編武蔵風土記稿より)

足立風土記資料寺院明細による薬師寺の縁起

小本寺吉祥院門徒 東京府管轄武州足立郡伊藤谷村 宝珠山 薬師寺 創立年暦不詳、賢清開山、寺格無之
但当寺住無之、東京府管轄武州足立郡千住宿安養院住職了阿兼務
境内、但除地2反歩
檀家 51軒
門末庵室等無之(足立風土記資料寺院明細より)

薬師寺の周辺図