萬年山東陽寺|関東大震災で被災、昭和3年当地へ移転
東陽寺の概要
曹洞宗系単立寺院の東陽寺は、萬年山と号します。東陽寺は、勅特賜大峯仏雄禅師南翁玄舜和尚(寛永元年1624年寂)が開山となり、慶長16年(1611年)八丁堀に創建、寛永12年(1635年)浅草八軒寺町へ移転したといいます。関東大震災で被災、昭和3年当地へ移転しました。
山号 | 萬年山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 東陽寺 |
住所 | 足立区東伊興4-4-1 |
宗派 | 曹洞宗系単立寺院 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
東陽寺の縁起
東陽寺は、勅特賜大峯仏雄禅師南翁玄舜和尚(寛永元年1624年寂)が開山となり、慶長16年(1611年)八丁堀に創建、寛永12年(1635年)浅草八軒寺町へ移転したといいます。関東大震災で被災、昭和3年当地へ移転しました。
足立区教育委員会掲示による東陽寺の縁起
本寺は、もと浅草にあったが関東大震災により焼失し、昭和3年(1928)5月に現在地に移転した。
寺内には足立区登録文化財の塩原太助の墓、戸田茂睡歌碑、阿弥陀三尊来迎図板碑がある。
塩原太助は上州沼田に生まれ、江戸に上り、炭のはかり売りから業を興して莫大な財産を築いた。その一生は「塩原太助一代記」として講談や歌舞伎で知られている。
戸田茂睡は江戸時代前期の歌人で、碑は、天和2年(1682)に死亡したものと伝えられる。碑は関東大震災によって半分を欠損したが、当寺の移転の際、いっしょに現在地へ移動し保存した。なお、平成3年、新碑を再建した。
阿弥陀三尊来迎図板碑は、材石が秩父産緑泥片岩、いわゆる武蔵型板碑で、造立年代等不詳だが、線刻はきわめて精緻で、天蓋、瓔珞を備えた見事なものである。(足立区教育委員会掲示より)
「ブックレット足立風土記伊興地区」による東陽寺の縁起
東陽寺
曹洞宗系単立寺。号は萬年山東陽寺。本尊は釈迦牟尼寺。塩原太助の墓、戸田茂睡歌碑、阿弥陀三尊来迎図板碑、河村瑞賢追悼碑などがある。(「ブックレット足立風土記伊興地区より)
御府内寺社備考による東陽寺の縁起
下総国葛飾郡山王山村東昌寺末 浅草八軒寺町 萬年山東陽寺
慶長16年8月24日、八丁堀ニ而寺地拝領仕。其後寛永12年5月22日、替地拝領仕当所ヘ引移申候。
開山勅特賜大峯仏雄禅師南翁玄舜和尚、寛永元年9月16日寂。
二世中興開山明巌良察和尚、寛永8年正月9日寂。
本堂 本尊阿弥陀如来像。(御府内寺社備考より)
東陽寺の周辺図