應現寺|伊興地区最古の寺院
應現寺の概要
時宗寺院の應現寺は、西嶋山煎雲院と号します。應現寺の創建年代は不詳ですが、天台宗寺院として創建、八幡太郎義家からの墨付及び寺領の朱印があったと伝えられ、伊興地区最古の寺院だといい、遊行二世真教上人により時宗へ改めたといいます。現存する瓦葺破風の四脚門は、寛永14年(1637)の建設で江戸時代初期の山門様式を伝える珍しい遺構です。
山号 | 西嶋山 |
---|---|
院号 | 煎雲院 |
寺号 | 應現寺 |
住所 | 足立区伊興本町2-3-3 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
宗派 | 時宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
應現寺の縁起
應現寺の創建年代は不詳ですが、天台宗寺院として創建、應現寺八幡太郎義家からの墨付及び寺領の朱印があったと伝えられ、伊興地区最古の寺院だといい、遊行二世真教上人により時宗へ改めたといいます。現存する瓦葺破風の四脚門は、寛永14年(1637)の建設で江戸時代初期の山門様式を伝える珍しい遺構です。
足立区教育委員会掲示による應現寺の縁起
時宗、西嶋山煎雲院應現寺と称す。 はじめ、天台宗であったが、遊行二世真教上人の勧説により時宗に転じたという。伊興地区最古の寺である。
寛永年間以降、諸堂舎が建てられ、寺観整い壮麗であったが、その後の天災地変で大門以外は焼失した。現存する瓦葺破風の四脚門は、寛永14年(1637)の建設であるが、昭和46年11月に修築された。江戸時代初期の山門様式を伝える珍しい遺構である。
また、天文7年(1538)の逆修板碑2基、永禄4年(1561)のもの1基、承応3年(1654)の石燈籠2基等がある。
このほか、足利時代築造の経塚が、旧寺域から発掘され出土した兜・経筒・五鈷鈴・唐宋の古銭等は、東京国立博物館に保管されている。(足立区教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による應現寺の縁起
(伊興村)應現寺
時宗、相模國藤沢清浄光寺の末なり、西嶋山と號す、本尊三尊の弥陀各恵心僧都の作なり、當寺は古へ天台宗にて、八幡太郎義家の墨付及び寺領の朱印ありしが、後皆失しと云、されど此事疑ふべし、其頃朱印の行はれしとも思はれず、後時宗に改めて清浄光寺の末となり、遊行第二代真教上人を以て開山とせり、又昔は前に出せる観音堂<註:現実相院>の別當職なりしが、彼堂は當寺より程隔たりたればとて、實相院へ職を譲りしと云傳へり、寺寳に八幡立の乗鞍なりとて古鞍あり、銘に打斯の如き花押を載たり、格別後世のものとも見ゆ、されど又その頃のものとは見えずといふ。
門。四足造にして甚古色の普請なり、度々修理を経ふといへども、舊體なを存せり、昔欄干に飛鳥の彫刻あり、刀痕凡ならず、土人は左甚五郎が作なりと語傳へしが、先年賊に取さられしと云。
天神社。神體胡服を衣て巌石に居す菅神の像ともおもはれず。(新編武蔵風土記稿より)
「ブックレット足立風土記伊興地区」による應現寺の縁起
応現寺(伊興本町二丁目)
時宗。開山は二代遊行上人他阿真教。山号は西嶋山応現寺。本尊は阿弥陀如来。山門、石灯籠、過去帳は文化財で、板碑が四基あります。また、1879(明治12)年に旧当寺境内では経塚が発見されました。その場所から、高さ約10.6cm、口径約6.3cmの鉄製の経筒5個、銅製の六器と五錮鈴、唐宋の古貨銭などとともに兜鉢(「星兜」東京国立博物館蔵)が出土しました。(「ブックレット足立風土記伊興地区」より)
應現寺所蔵の文化財
- 応現寺山門(寛永14年(1637)築)
- 天文7年(1538)銘逆修板碑2基、永禄4年(1561)銘逆修板碑1基
- 承応3年(1654)の石燈籠2基
- 経塚より出土した兜・経筒・五鈷鈴・唐宋の古銭
應現寺の周辺図