青龍山南光寺|足立区入谷
南光寺の概要
真言宗豊山派の南光寺は、青龍山医王院と号します。創建年代は不詳ですが、良賢師(1543年寂)中興と推定されます。
山号 | 青龍山 |
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院号 | 医王院 |
寺号 | 南光寺 |
住所 | 足立区入谷1-19-20 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
南光寺の縁起
南光寺は、創建年代不詳ですが、良賢師(1543年寂)中興と推定されます。
足立仏教会資料による南光寺の縁起
青龍山医王院南光寺と号し、小本寺金龍山円通寺の末寺であったこと以外はまったく不明であった。ただし、安政3年(1856)8月28日、夜来の大風により過去霊簿いっさいが磨滅したので、檀中の仏壇や石碑の戒名などを丹念に調べて、新たに慶応3年(1867)、本寺円通寺住職心明師が過去帳を録した記録はある。本尊不動明王とともに薬師如来が安置されている。当山が医王院と号される由縁なりと思われる。明治13年7月、東京府寺院什器等調査依頼書の控えによれば、
1.小本寺円通寺の末寺で開山は不明、中興は良賢師、天文12年(1543)寂、香衣一色着用の寺格
1.境内632坪
1.檀家23軒
1.墓地4畝8坪
1.寺領(境外田畑)1町9反3畝29歩
1.本堂、間口7間奥行5間半
1.庫裡、間口5間半奥行2間半
上記のごとく当時の住職青鹿秀栄師が報告している。なお「新編武蔵風土記稿」によれば「南光寺、円通寺末、青龍山医王院と号す。開山の各は伝えざれど、過去帳に弘安3年4月20日(寂カ)と記せしを古しとす。本尊は不動を安ず。薬師堂ありたるも荒廃せしを以って像は本堂に移し、堂の再建はいまだならず」と記されている。
爾後、秀栄師は牛込南蔵院に転住、以来永年にわたり円通寺の兼務寺となっていたが、昭和6年11月20日、現住光寶僧都入寺、現在にいたる。
足立風土記資料寺院明細による南光寺の縁起
小本寺円通寺末 東京府管轄武州足立郡入谷村 医王山南光寺
創立年暦并開山不詳、寺格無之
但当住無住、東京府管轄武蔵国足立郡入谷村円通寺住職快照兼務。
境内、1反8畝歩、但除地。檀家、23軒。門末、無之。庵室等、無之
新編武蔵風土記稿による南光寺の縁起
(入谷村)
南光寺
圓通寺末、青龍山醫王院と號す、開山の名は傳へざれど、過去帳に圓祐弘安三年四月廿日と記せしを古しとす、本尊は不動を安ず。
薬師堂。此像も今本堂に安して、堂はいまだ再建ならず。(新編武蔵風土記稿より)
南光寺の周辺図