金龍山円通寺|荒綾八十八ヶ所、武蔵国八十八ヶ所
円通寺の概要
真言宗豊山派寺院の円通寺は、金龍山三寶院と号し、白鳳2年(651)存隆上人開基と伝えられ、もと西新井大師総持寺末、門末9ヶ寺を擁した小本寺格でした。荒綾八十八ヶ所霊場86番、武蔵国八十八ヶ所霊場4番札所です。
山号 | 金龍山 |
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院号 | 三寶院 |
寺号 | 円通寺 |
住所 | 足立区入谷1-6-8 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | 墓苑募集中 |
備考 | - |
円通寺の縁起
足立仏教会資料による円通寺の縁起
白鳳2年(651)に、存隆上人を招いて開基、密教寺院としての形態を整え、同時に金龍山の再建を祈願したと記されている。
江戸時代には、地域の学問所として、山内の塔頭寺院の一つ観音院で寺子屋を開き、学問の普及に貢献していた。その寺子屋が明治5年(1872)の小学校令発布と同時に、現在の足立区立舎人小学校の前身である共和小学校となる。
正式の開山は不明である。白鳳2年以前は「円命大明神」を中心に祭り、神道形態の信仰所であったようである。江戸時代には他の寺院同様、神仏習合の寺であり、山内の中心は「不動尊」を祭り円通寺と称し、「氷川神社」とともに多くの信仰を集めていたようである。明治維新のとき、氷川神社と分離し、山内にあった塔頭寺院も姿を消した。昭和初期まで存続したといわれる七堂伽藍も什物もことごとく消え失せて、現在は何もない状態である。
足立風土記資料寺院明細による円通寺の縁起
中本寺西新井大師総持寺末 東京府管轄武州足立郡入谷村 小本寺 金龍山円通寺
創立年暦并開山不詳、香衣浅青着用寺格
同管轄武蔵国足立郡堀内村農篠山藤五良長男、安政元年3月21日右於西新井大師総持寺得度、同2年9月本山小池坊エ入衆、留学3ヶ年、明治4年12月入寺。以上僧一人。
境内、4反7畝4歩、但除地。檀家、22軒。門末、9ヶ寺。庵室等、無之
新編武蔵風土記稿による円通寺の縁起
(入谷村)圓通寺
新義真言宗、西新井村總持寺末、金龍山観音院と號す、本尊不動を安ぜり。
観音堂。正観音にて立像長一尺許、行基の作此堂再建いまだならず、よりて今本堂に安ず、此所に掛たる鰐口あり、其銘に奉果立願志趣者爲天長地久御願□應永十三年十二月一日□□敬白とのせたり。(新編武蔵風土記稿より)
円通寺の旧門末
円通寺は、江戸時代に門末9ヶ寺を擁していました。
円通寺の周辺図