善立寺|足立区梅田にある日蓮宗寺院

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大光山善立寺|江戸三大触頭の一つに連なる名刹

善立寺の概要

日蓮宗寺院の善立寺は、大光山と号します。善立寺は、応仁2年の草創で、三河安城から岡崎へ移転、さらに天正19年江戸内幸町へ移転しました。その後江戸下谷へ移転、昭和25年当地へ移転しています。江戸期には、身延山久遠寺末触頭で、谷中瑞輪寺宗延寺と並び日蓮宗(旧法華宗)江戸三大触頭の一つに連なる名刹です。

善立寺
善立寺の概要
山号 大光山
院号 -
寺号 善立寺
住所 足立区梅田1-26-10
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 墓苑募集



善立寺の縁起

善立寺は応仁2年の草創で、三河安城から岡崎へ移転、さらに天正19年江戸内幸町へ移転しました。その後、下谷へ移転、江戸期には身延山久遠寺末の触頭として塔頭10ヶ寺を擁していました。昭和25年当地へ移転しています。江戸期には、身延山久遠寺末触頭で、谷中瑞輪寺宗延寺と並び日蓮宗(旧法華宗)江戸三大触頭の一つに連なる名刹です。

甲斐国巨摩郡身延久遠寺末
下谷不唱小名 大光山善立寺 境内古跡拝領地5694坪
天正19年、起立ニ御座候。
由緒左之通。
旧跡三州岡崎善立儀は、御先祖西忠様之御代、安城之御城より岡崎之御城へ御移候刻、善立寺も御供仕岡崎ヘ罷移候。依之、西忠様より為御褒美、寺領27石3斗5升目之御朱印頂戴仕、夫相続き 道閻様 道忠様 道甫様 道軒様 権現様迠之御朱印頂戴仕候。善立寺往持代々何れも御譜代衆之子孫ニ而候故、 権現様三州ニ被為成御座候御時、毎年菅生川ニ而御川狩之刻、御昼弁当御小休ニ何時も善立寺ヘ斗被為 入候。(以下中略)
一宗門両派一致勝劣触頭7組15ヶ寺有之中ニ身延触頭は瑞林寺善立寺宗延寺筆頭ニ而候。諸国之本山30ヶ寺末寺共ニ支配致候。触頭相定之儀、数度類焼ニ付焼失仕、古記無之候得共三ヶ寺共 御入国ニ付起立之寺故、身延久遠寺之末頭ニ相成、其後寛文年中宗門御改等厳重ニ相成候節、触頭相定候而御条目抔相渡り候様ニ被存候。
開基寿仙院日得上人、元和5年4月29日卒、
塔頭十軒
真如院 開祖林松院日仙、卒年月不知
法性院 開祖法泉院日如、天正19年岡崎罷来候。寛永4年11月9日卒
善行坊 開祖寿仙院日得
本寿坊 開祖守玄院日諦、三州ヘ帰と云々
恵林坊 開祖円明院日讃、三州ヘ帰と云々
東陽坊 開祖法輪院日正、延宝5年正月2日卒
円修坊
法輪坊
円通坊
十行坊
右、此内4軒当時畳置。

善立寺の周辺図