大乗院|足立区西保木間にある真言宗系単立寺院

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古谷野山大乗院|足立区西保木間

大乗院の概要

真言宗系単立寺院の大乗院は、古谷野山寳持寺と号します。大乗院は、平安時代の創建と伝承されています。室町時代文明年間には隆盛期を迎え、中興賢勝阿闍梨が在住、七堂伽藍が建て、広大な境内の大門は西保木間1-13地にあったといいます。文明・文化と二度の火災で諸堂宇を焼失しましたが、文化15年、現本堂を再建しています。

大乗院
大乗院の概要
山号 古谷野山
院号 大乗院
寺号 寳持寺
住所 足立区西保木間2-14-5
宗派 真言宗系単立
葬儀・墓地 -
備考 -



大乗院の縁起

大乗院は、平安時代の創建と伝承されています。室町時代文明年間には隆盛期を迎え、中興賢勝阿闍梨が在住、七堂伽藍が建て、広大な境内の大門は西保木間1-13地にあったといいます。文明・文化と二度の火災で諸堂宇を焼失しましたが、文化15年、現本堂を再建しています。

足立区教育委員会掲示による大乗院の縁起

大乗院は、新義真言宗、古谷野山大乗院寳持寺と称する。創建の時期は明らかではないが、鎌倉時代を下ることはない。文明・文化と二度の火災で諸堂宇を焼いたが、本尊聖観世音菩薩立像と薬師如来立像は災いを免れた。
昭和14年春に、本堂裏から発掘された正応2年(1289)の釈迦一尊種字板碑は区内でも古い方に属する。また、文明元年(1469)阿弥陀三尊種字板碑は、中興賢勝阿闍梨の逆修板碑で、共に中世の好資料である。
毎年1月7日初薬師の早朝、大門厨子の人々が持ち寄った藁で6mほどの大蛇を編みあげて、木の枝にわたらせた後、「干葉粥」を施し、五穀豊穣と無病息災を祈願している。
この「じんがんなわ祭り」は古い伝統を保持した祭りであり、市街地では極めて珍しい民族行事である。
平成17年3月(足立区教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による大乗院の縁起

(保木間村)大乗院
総持寺の門徒なり、下二ヶ寺並に同じ、古谷野山と號す、本尊地蔵は行基の作なり。
熊野社。
観音堂。近き頃回禄の災にかかり、未起立ならず、本尊千手観音は行基の作にて、茂加次郎義綱が守佛と云、今客殿に置けり。
薬師堂。これも未再興ならず。(新編武蔵風土記稿より)

足立区仏教会資料による大乗院の縁起

大乗院の創建は、平安時代と伝承されている。「新編武蔵風土記稿」には、「本尊地蔵は行基の作なり」「観音堂、近き頃回録の災にかかり未起立ならず。本尊千手観音は行基の作にて加茂次郎義綱が守佛と云。今客殿に置けり。薬師堂、これも未再興ならず」とある。難を免れた観音は「風土記稿」では千手観音となっているが、文化15年3月の棟札には「奉再建立本堂一宇」の文字の上に聖観音を示す梵字「サ」が書いてあり、今日奉安されている本尊聖観世音菩薩である。室町時代文明年間が大乗院の隆盛期で、中興賢勝阿闍梨が在住、七堂伽藍が建っていたという。
文明元年11月造立した緑沼片岩で武蔵型の逆修板碑がある。正応2年の釈迦一尊種字板碑から出土したもので、中世の好資料といえる。毎年1月7日の早朝大門厨子の人びとが持ち寄った藁で10mほどの大蛇を編み木の枝にかける「じんがんなわ祭」は五穀豊穣、無病息災を祈願する古い伝統行事である。このように大乗院は、文明、文化の2度の火災により諸堂宇は焼失したが、文化15年、現在の本堂が再建された。

足立風土記資料寺院明細による大乗院の縁起

中本寺西新井大師総持寺門徒 東京府管轄武蔵国足立郡保木間村 古谷野山大乗院
創立年暦并開山不詳、寺格無之。
世代不詳隆見、壬申28歳。東京府管轄武蔵国埼玉郡末田村農牧野亀之助三男、慶応2年12月11日同国同郡大房村於浄光寺得度、明治3年10月15日入寺、本山小池坊留学4ヶ年。以上僧一人。
境内、2反歩、但除地。檀家、35軒。門末、無之。庵室等、無之。

大乗院所蔵の文化財

  • じんがんなわ祭

じんがんなわ祭は、五穀豊穣、無病息災を祈願する古い伝統行事で、毎年1月7日の早朝大門厨子の人びとが持ち寄った藁で10mほどの大蛇を編み木の枝にかける行事です。

大乗院の周辺図