南千住胡録神社|上杉謙信の家臣高田嘉左衛門が面足尊・惶根尊を祀る
南千住胡録神社の概要
南千住胡録神社は、荒川区南千住にある胡録神社です。胡録神社は、永禄4年(1561)上杉謙信の家臣高田嘉左衛門が川中島の合戦に敗れ、当地へ逃れて永住、面足尊、惶根尊を祀ったのが始まりだといい、古くは第六天と称しましたが、明治維新の神仏分離令の際胡録神社と改称したといいます。
社号 | 胡録神社 |
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祭神 | 面足尊、惶根尊 |
相殿 | - |
境内社 | 道祖神 |
住所 | 荒川区南千住8-5-6 |
備考 | - |
南千住胡録神社の由緒
胡録神社は、永禄4年(1561)上杉謙信の家臣高田嘉左衛門が川中島の合戦に敗れ、当地へ逃れて永住、面足尊、惶根尊を祀ったのが始まりだといい、古くは第六天と称しましたが、明治維新の神仏分離令の際胡録神社と改称したといいます。
東京都神社名鑑による南千住胡録神社の由緒
上杉謙信の家臣、高田嘉左衛門なる者、戦に放れ、十余名の同志とともに当地に厄難を逃れ、永住の地と定め、村落生活の安寧を祈願するため、両足尊・惶根尊両御祭神を享保四年(一七一九)九月十九日に奉斎する。古くは第六天と称したが、明治の神仏分離のさい、現在の名称になる。御社号の由来は、武士の名残りを留めるため、矢をささえる武具の胡籙より胡録神社とした説と、汐入の特業であった胡粉作りの胡と、第六天の六をとり胡録神社とした説の二通りがある。御本殿は嘉永五年(一八五二)九月十九日に造営され、拝殿・神楽殿・社務所は昭和二年に竣工され、戦火にもあわず現在に至る。(東京都神社名鑑より)
新編武蔵風土記稿による南千住胡録神社の由緒
(橋場町在方分)第六天社
小塚原町熊野別当圓蔵院持。(新編武蔵風土記稿より)
南千住胡録神社所蔵の文化財
- 胡録神社拝殿(荒川区登録文化財)
南千住胡録神社の周辺図