橋本左内の墓旧套堂|荒川区南千住の名所旧跡
橋本左内の墓旧套堂の概要
橋本左内の墓旧套堂は、橋本左内の墓(区登録有形文化財)を保護するために昭和8年(1933)造られた建造物です。当初橋本左内の墓がある回向院境内入口にありましたが、回向院境内整備により平成18年に套堂が区に寄贈され、平成21年当地に復元したといいます。
名称 | 橋本左内の墓旧套堂 |
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みどころ | 荒川区登録有形文化財 |
入場時間 | - |
入場料 | 無料 |
住所 | 荒川区南千住6-63-1荒川ふるさと文化館 |
文化財 | - |
備考 | - |
橋本左内の墓旧套堂の由緒
橋本左内の墓旧套堂は、橋本左内の墓(区登録有形文化財)を保護するために昭和8年(1933)造られた建造物です。当初橋本左内の墓がある回向院境内入口にありましたが、回向院境内整備により平成18年に套堂が区に寄贈され、平成21年当地に復元したといいます。
荒川区教育委員会掲示による橋本左内の墓旧套堂の由緒
この套堂は、昭和八年(1933)に橋本左内の墓(区登録有形文化財)を保護するために造られた建造物です。大正十二年(1923)の関東大震災後に耐震性と不燃性の観点から注目されるようになった鉄筋コンクリート造で、規模は方一間(柱間1.94m)、宝形造の屋根、軒裏および柱・梁等の軸部には、表面に人造擬石洗出・研出仕上げを施しており、伝統的な建築の意匠と近代的工法との折衷を図った近代仏教建築といえます。もとは回向院境内入口にありましたが、平成十八年、套堂のみ区に寄贈され、同二十一年、ここに復元されました。
当時、套堂の施主となったのは、橋本左内を追慕し、道徳を広く発揚することを目的として、明治三十五年(1902)に設立された景岳会で、事務所は福井県出身の学生を育英するため設けられた舗仁会内に置かれました。設計には、同会会員で建築家でもあった原田正があたり、歴史学者黒板勝美(古社寺保存会委員・東京帝国大学教授)に助言を求め、日本建築史を体系化した建築家伊東忠太(東京帝国大学教授・史蹟名勝天然記念物保存教会評議院)の監修を受けています。また、正面に据え付けられた陶製の橋本家の家紋のデザインは、福井県出身で、日本の陶彫のさきがけとして知られる沼田一雅(東京美術学校教授)によるものです。当代一流の学者の知識・技術・感性が結集した近代の貴重な文化財といえます。(荒川区教育委員会掲示より)
橋本左内の墓旧套堂の周辺図