長盛山法界寺|将軍鷹狩りの際の御膳所
法界寺の概要
浄土宗寺院の法界寺は、長盛山道慶院と号します。長保年間(999-1004)長盛居士が開基となり創建したと伝えられます。明誉善海が慶長18年(1613)に中興開山したといいます。江戸時代には、観音寺と共に将軍鷹狩りの際の御膳所にあてられていました。
山号 | 長盛山 |
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院号 | 道慶院 |
寺号 | 法界寺 |
住所 | 荒川区荒川3-51-3 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
法界寺の縁起
法界寺は、長保年間(999-1004)長盛居士が開基となり創建、明誉善海が慶長18年(1613)に中興開山したといいます。江戸時代には、観音寺と共に将軍鷹狩りの際の御膳所にあてられていました。
新編武蔵風土記稿による法界寺の縁起
法界寺
同宗(浄土宗)小塚原誓願寺末。長盛山道慶院と号す。本尊弥陀。開山明誉善海、寛永2年2月24日化す。当寺も近き頃より御膳所となれり。
稲荷社。
薬師堂。
地蔵堂。(新編武蔵風土記稿より)
法界寺所蔵の文化財
- 阿弥陀如来立像延宝8年銘(荒川区登録文化財)
- 板碑2基正和5年11月日銘(荒川区登録文化財)
阿弥陀如来立像延宝8年銘
長盛山道慶院という浄土宗の寺。長保年間(999-1004)長盛居士開基と伝える。慶長18年(1613)明誉善海によって中興された。本尊の阿弥陀如来に「延宝8歳9月3日、当寺五代海誉」と記されている。
江戸後期~幕末まで、将軍の「鶴お成り」の際の御膳所にあてられた。
境内には、寛永6年(1629)3月建立の清水外記の墓、眼病に効き目があるという長盛薬師などがある。
なお、荒川区役所裏の「うなぎや墓地(荒川2-18)」出土の応永31年(1424)銘の板碑を所蔵している。(荒川区教育委員会掲示より)
法界寺の周辺図