嚴浄院|文京区白山にある浄土宗寺院

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臨川山嚴浄院|江戸山の手四十八ヵ所地蔵参り

嚴浄院の概要

浄土宗寺院の嚴浄院は、臨川山専稱寺と号します。嚴浄院は、専蓮社高譽貞殘聖人(万治2年1659年遷化)が開山、松徳院殿穏譽覺安居士(俗名松野孫左衛門)が開基となり、寛永5年(1628)小石川田町に創建、承応2年(1654)当地へ移転したといいます。当寺の子育て地蔵尊は、江戸山の手四十八ヵ所地蔵参りの29番です。

嚴浄院
嚴浄院の概要
山号 臨川山
院号 嚴浄院
寺号 専稱寺
住所 文京区白山2-30-5
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



嚴浄院の縁起

嚴浄院は、専蓮社高譽貞殘聖人(万治2年1659年遷化)が開山、松徳院殿穏譽覺安居士(俗名松野孫左衛門)が開基となり、寛永5年(1628)小石川田町に創建、承応2年(1654)当地へ移転したといいます。

「小石川区史」による嚴浄院の縁起

臨川山嚴浄院。浄土宗傳通院末。本尊阿彌陀如来。當寺の開創は寛永五年で、初めは小石川田町(今の本郷田町)にあつたが承應二年田町が御用地となり、現地を替地として賜はりそこに引移つた。開山は専蓮社高譽貞殘聖人(萬冶二年九月二十八日遷化)、開基は松徳院殿穏譽覺安居士(俗名松野孫左衛門)で、文政時代には境内除地五百六坪あつた。今境内に子安地蔵尊がある。(「小石川区史」より)

東京名所図会による嚴浄院の縁起

巌浄院
二十番地にあり。臨川山専稱寺と號す、浄土宗、傳通院末なり。寛永五戊辰年起立。開山は釋貞残なり。境内に子安地蔵尊あり。
子安地蔵尊縁起。
我臨川山巌浄院専稱寺者。江城西北在小石川指ヶ谷市中。當山所安置子安地蔵菩薩。恵心直作之尊像也。往年経一位尼公桂昌院殿台覧。爾来薩埵徳輝彌頸矣。笶伯士林農夫商客徒信伏拝尊像。令諸願悉皆満足。不耐筆記焉。就中寶永三歳次丙戌季夏下澣。中将水戸源公之簾中八重姫君賜両使於當院。告曰嘗此地地蔵尊霊験。請憑予而新薩埵不倚。或男子或女子。冀有得妊娠嘉瑞。云々。(東京名所図会より)


嚴浄院所蔵の文化財

山口素堂の墓

当山に山口黒露が建立した墓がある。山口素堂、寛永19年〜享保元年(1642-1716)。甲斐国(山梨県)の生まれ。俳人。名は信章、通称は勘兵衛。素堂は号。和歌、茶道、書道にもすぐれていた。
若くして江戸に出て漢学を修め、寛文の頃(1661-73)京都で俳諧、和歌などを学んだ。天和2年(1682)の大火で、深川の芭蕉庵が焼失した時、庵を再建し友情を示した。
素堂は、”蕉風”といわれる芭蕉独自の俳諧の確立に、大きな影響を与えたといわれる。谷中感応寺に葬られたが、墓は現存しない。
人々に親しまれている句に”目には青葉 山ほとどぎす 初がつお”がある。句碑は、墓所のわきにある(昭和58年5月建立。杉崎雨泉筆)(文京区教育委員会掲示より)


嚴浄院の周辺図


参考資料

  • 「小石川區史」
  • 東京名所図会