梅榮山龍泉寺|文京区白山にある天台宗寺院
龍泉寺の概要
天台宗寺院の龍泉寺は、梅榮山富光院と号します。龍泉寺は、秋元小兵衛邸の一部の寄進を受けて、尊祐法印(寛永16年1639年寂)が開山となり元和7年(1621)に創建、延宝3年(1675)輪王寺宮より山号寺号を拝領したといいます。
山号 | 梅榮山 |
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院号 | 富光院 |
寺号 | 龍泉寺 |
住所 | 文京区白山4-37-10 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
龍泉寺の縁起
龍泉寺は、秋元小兵衛邸の一部の寄進を受けて、尊祐法印(寛永16年1639年寂)が開山となり元和7年(1621)に創建、延宝3年(1675)輪王寺宮より山号寺号を拝領したといいます。
「小石川区史」による龍泉寺の縁起
梅榮山富光院龍泉寺と號し、比叡山延暦寺末である。本尊は阿彌陀如来、創立は元和八年、傳通院領小石川村の秋元小兵衛が邸の一部を寄進して一宇を建立したに創まる。開山尊祐法印は寛永十年六月廿六日寂、中興開山収順法印は正徳元年十二月二十六日寂。文政時代の除地七百餘坪、内門前町屋百十七坪、當時は東叡山末であつたが、後に比叡山直末となつた。
舊幕時代には境内に北野神社、稲荷社、八幡社等が存したが、維新の際神佛分離により毀撤せられた。(「小石川区史」より)
東京名所図会による龍泉寺の縁起
龍泉寺は原町六十五番地にあり、梅榮山富光院と號す、天台宗寛永寺末なり、元和七辛酉年の開基にして、當寺梵刹并に北野神社を勧請せり、慶安元戊子年傳通院殿追福の為め此地を賜ひき、境内七百五十餘歩、延寶三卯年七月十日東叡山輪王寺宮家より山號寺號下賜せらる、住僧収順、即ち志を立て佛殿を経営し、諸堂悉く成る。享保六丑年三月四日、同十巳年二月十四日両度の火災に類焼し、精舎烏有に帰す、唯三尊と神彫のみ火裏を脱出せり、同十一年秋知戒和尚此頽毀を患ひ、法義を談じ道俗を勧化し、堂宇を再興すと云、本尊三尊阿弥陀如来立像三尺、門前に丈餘の石地蔵あり。(東京名所図会より)
龍泉寺の周辺図
参考資料
- 「小石川區史」
- 東京名所図会