寶福山龍閑寺|文京区春日にある浄土宗寺院
龍閑寺の概要
浄土宗寺院の龍閑寺は、寶福山浄慶院と号します。龍閑寺は、谷村五郎左衛門が開基となり、傳通院中興第二世の了蓮社定譽上人随波大和尚が、寛永8年(1631)神田龍閑町に創建、小石川金杉への移転を経て当地へ移転したといいます。
山号 | 寶福山 |
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院号 | 浄慶院 |
寺号 | 龍閑寺 |
住所 | 文京区春日2-6-12 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
龍閑寺の縁起
龍閑寺は、谷村五郎左衛門が開基となり、傳通院中興第二世の了蓮社定譽上人随波大和尚が、寛永8年(1631)神田龍閑町に創建、小石川金杉への移転を経て当地へ移転したといいます。
東京名所図会による龍閑寺の縁起
龍閑寺は。金富町二十五番地に在り。寶福山と號す。浄土宗にして傳通院末なり。開山は了蓮社定譽上人寛永八年の創立に係る。(東京名所図会より)
「小石川區史」による龍閑寺の縁起
寶福山浄慶院龍閑寺。浄土宗鎮西派、本山傳通院末、本尊は阿彌陀如来。傳通院中興第二世の定譽上人随波大和尚が、寛永八年神田龍閑町に五百餘坪の地を拝領して一寺を建立したのが當寺の起りで、當時の開基は谷村五郎左衛門であつた。後小石川村金杉に移り、その後更に當所へ轉地したと傳へてゐるが、其年代は明らかでない。但し寛文十年の江戸圖には既に現在地に記されてゐるから、神田より金杉へ、更に金杉より現在の地への移轉はそれ以前である事に疑ひはない。他の例より推して、恐らく明暦の大火後小石川へ移轉したものであらう。開山の寂年は寛永十二年九月十日、開基は寛文五年十一月十九日歿、文政時代には境内五百七十三坪半と記されてゐる。現本堂は大正十五年の改築である。(「小石川區史」より)
龍閑寺の周辺図
参考資料
- 「小石川區史」
- 東京名所図会