無量山真珠院|小石川七福神の布袋尊
真珠院の概要
浄土宗寺院の真珠院は、無量山全忠寺と号します。真珠院は、水野隼人正忠清(徳川家康生母・於大の方の甥、真珠院殿廓譽全忠大居士)が開基、運蓮社霊誉単無上人が開山となり正保4年(1647)に創建、明治維新後一寺となったといいます。当寺には小石川七福神の布袋尊が祀られています。
山号 | 無量山 |
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院号 | 真珠院 |
寺号 | 全忠寺 |
住所 | 文京区小石川3-7-4 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | 真珠院月かげ会館 |
備考 | 小石川七福神の布袋尊 |
真珠院の縁起
真珠院は、水野隼人正忠清(徳川家康生母・於大の方の甥、真珠院殿廓譽全忠大居士)が開基、運蓮社霊誉単無上人が開山となり正保4年(1647)に創建、明治維新後一寺となったといいます。当寺には小石川七福神の布袋尊が祀られています。
「小石川區史」による真珠院の縁起
浄土宗鎮西派、傳通院末。本尊阿彌陀如来。元傳通院の塔中で、その開創は正保四年、傳通院殿の實家水野隼人正忠清が開基となり、僧單譽を開祖としてゐる。維新後他の塔中、別院等と同じく、獨立した一寺として取扱はれる事となつた。現本堂は寺傳によれば、正保開創以来のものといふ。(「小石川區史」より)
真珠院栞による真珠院の縁起
当院は徳川家康公の生母於大の方(伝通院殿)の生母、松本藩主で後に沼津藩主となった水野家の菩提寺です。初代松本城主水野隼人正忠清公(真珠院殿廓譽全忠大居士)を開基、運蓮社霊誉単無上人を開山として江戸初期に創建されました。以降、無量山伝通院の塔頭として念仏弘通につとめ、とくに第二次大戦後、数次にわたる復興計画により灰燼に帰した諸堂宇・境内の整備を行い、今や浄土苑の真珠院の名で人々に知られています。
近年発足した小石川七福神では布袋尊の寺としても親しまれています。(真珠院栞より)
文京区教育委員会掲示による真珠院の縁起
この寺に、於大の方の生花・水野家の墓所がある。於大の方の甥にあたる当時松本城主であった水野隼人正忠清を開基として、正保4年(1647)に建立された寺である。寺号は、忠清の法名・真珠院殿による。道一つはさんだ伝通院に於大の方も静かに眠る。
於大の方は、三河国刈谷の城主・水野忠政の娘で、14歳の時、岡崎の松平広忠に嫁いだ。翌年家康が生まれたが、仲むつまじかった結婚生活はわずか3年、幼い家康を残して離婚させられた。時は戦国の世、政略によるものであった。
於大の方は、かげながら家康の成長を見守り励まし続けたという。
慶長7年(1602)於大の方は京都で亡くなった。家康は遺骸を江戸まで運ばせ菩提寺として伝通院を建立し手厚く弔った。(文京区教育委員会掲示より)
真珠院の周辺図
参考資料
- 「小石川區史」