礫川山善光寺|文京区小石川にある浄土宗寺院
善光寺の概要
浄土宗寺院の善光寺は、礫川山と号します。善光寺は、慶長7年(1602)に伝通院(徳川将軍家の菩提寺)の塔頭縁受院として創建、明治17年(1884)善光寺と改称し、信州の善光寺の分院になったといいます。
山号 | 礫川山 |
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院号 | - |
寺号 | 善光寺 |
住所 | 文京区小石川3-17-8 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
善光寺の縁起
善光寺は、慶長7年(1602)に伝通院(徳川将軍家の菩提寺)の塔頭縁受院として創建、明治17年(1884)善光寺と改称し、信州の善光寺の分院になったといいます。
「小石川區史」による善光寺の縁起
浄土宗鎮西派、本山傳通院末。本尊は阿彌陀如来。寺傳によれば、當寺の本尊は家康公母堂傳通院殿の守本尊で、傳通院殿を傳通院内に埋葬すると同時に一宇を建立し、右本尊を安置し善光寺如来堂と稱したのが、當寺の起源であるといふ。即ち徳川時代に傳通院寺中の一院であつたが、明治以後獨立して一寺となり、善光寺月参講を組織してより益榮え、引續き今日に至つた。現在前記善光寺月参講は、精神修養と名勝参拝とを目的とし、此の外に精神修養、慈善事業を目的とする善光寺婦人會、日曜學校を主事業とする善光寺子供會等を創設し、社會的にも相當の活躍を示してゐる。現本堂は明治四十年の建立である。(「小石川區史」より)
文京区教育委員会掲示による善光寺の縁起
善光寺坂
坂の途中に善光寺があるので、寺の名をとって坂名とした。善光寺は慶長7年(1602)の創建と伝えられ、伝通院(徳川将軍家の菩提寺)の塔頭で、縁受院と称した。明治17年(1884)善光寺と改称し、信州の善光寺の分院となった。したがって明治時代の新しい坂名である。歩道のまん中に椋の老木がある。古来、この木には坂の北側にある稲荷に祀られている沢蔵司の魂が宿るといわれている。なお、坂上の慈眼院の境内には礫川や小石川の地名に松尾芭蕉の句碑が建立されている。
”一しぐれ 礫や降りて 小石川”はせを(芭蕉)
また、この界隈には幸田露伴(1867-1947)・徳田秋声(1871-1943)や島木赤彦(1876-1926)古泉千樫(1886-1927)ら文人、歌人が住み活躍した。(文教育教育委員会掲示より)
善光寺の周辺図
参考資料
- 「小石川區史」