高耀山長元寺|文京区向丘にある日蓮宗寺院
長元寺の概要
日蓮宗寺院の長元寺は、高耀山と号します。長元寺は、加州侯吉徳母随玄院が開基となり、谷中感應寺を中興した尊重院日長上人(慶安4年1651年寂)が開山となり寛永4年(1627)千駄木に創建、寛文2年(1662)当地へ移転したといいます。
山号 | 高耀山 |
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院号 | - |
寺号 | 長元寺 |
住所 | 文京区向丘2-27-5 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長元寺の縁起
長元寺は、加州侯吉徳母随玄院が開基となり、谷中感應寺を中興した尊重院日長上人(慶安4年1651年寂)が開山となり寛永4年(1627)千駄木に創建、寛文2年(1662)当地へ移転したといいます。
「本郷區史」による長元寺の縁起
駒込蓬莱町に在り、久遠寺末、高耀山と號す、寛永四年開山日長(慶安四年寂)の千駄木に開く處であるが、其地太田侯下屋敷となつたので寛文二年現地に轉じた。中興開基は加州侯吉徳の母預玄院(明和二年歿)である。桜間青害(畫家岡崎侯臣嘉永四年歿六十七)小島成斎(通史家斉時代参照)野口犀陽(儒者名は三布加賀の人明治三十一年歿)の墓がある。(「本郷區史」より)
東京名所図会による長元寺の縁起
長元寺、駒込蓬莱町十三番地にあり、高耀山と號す、日蓮宗甲斐國身延山久遠寺末にして、谷中感應寺中興尊重院日長上人を開山とす、寛永四年起立、開基は加州侯吉徳母随玄院なり、寛文二年千駄木村(大田備中守屋敷の南)より此に移る、境内清灑伽藍宏壮なり、當寺に玉梅斎洞旭の画ける日蓮大士一代厄難利益の大軸あり、伊藤公爵の寄附に係るといふ、其他開山、日蓮、日竟等諸上人の筆せる曼荼羅、狩野探幽、即譽、伊川等の画幅、水戸鼎山公の竹の画等蔵せり。(東京名所図会より)
長元寺の周辺図
参考資料
- 「本郷區史」
- 東京名所図会