大智山海蔵寺|文京区向丘にある曹洞宗寺院
海蔵寺の概要
曹洞宗寺院の海蔵寺は、大智山富明院と号します。海蔵寺は、鎌田次郎の末裔内海彦右衛門(慶長17年歿)が開基となり、尾州内海(愛知県)に創建、天文9年(1540)駒込に移転、僧勝庵(天文23年1554年寂)が開山、慶安元年(1648)には徳川家光より寺領8石の御朱印状を拝領したといいます。
山号 | 大智山 |
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院号 | 富明院 |
寺号 | 海蔵寺 |
住所 | 文京区向丘2-25-10 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
海蔵寺の縁起
海蔵寺は、鎌田次郎の末裔内海彦右衛門(慶長17年歿)が開基となり、尾州内海(愛知県)に創建、天文9年(1540)駒込に移転、僧勝庵(天文23年1554年寂)が開山、慶安元年(1648)には徳川家光より寺領8石の御朱印状を拝領したといいます。
「本郷區史」による海蔵寺の縁起
駒込蓬莱町に在り、淺草總泉寺末大智山富明院と號する。天文元年鎌田次郎の末裔内海氏が尾州沼の内海より駒込本村に移したもので、其後富士前に移り富明山と號し、後大智山と改めた。享保三年十二月小石川よりの出火に焼失後寺地を御鷹部屋火除地に収公せられ當地に移つた。開山は僧勝庵(天文二十三年寂)開基は内海彦右衛門(慶長十七年歿)慶安元年家光鷹狩の節當寺に休憩して寺領八石を附した。久米平内(兵頭氏無關一素居士貞享元年歿)立原翠軒(彰考館總裁、名は萬、通稱は甚五郎、文政六年歿八十、贈從四位)山崎春樹(通史家斉時代参照)追手風喜太郎(力士、慶應元年歿)富士行者彌勒の墓がある。(「本郷區史」より)
東京名所図会による海蔵寺の縁起
海蔵寺
同(駒込蓬莱町)廿七番地にあり、大智山富明院と號す、曹洞宗橋場總泉寺末なり、鎌田次郎の末裔内海氏の開基にして、初め尾州内海にありたるものなりといふ、僧勝庵(天文廿三年七月十五日寂)を開山とす、天文九年駒込村に創立し、享和三年災ありて此地に移る、舊寺領八石あり。
久米平内の墓。寺中に久米平内墓と稱するあり、兵藤氏、無關一素居士といふ。
寺傳に平内は兵藤氏にして久米氏を継ぐ、而して兵藤氏は當山の檀家なるを以て、亦平内の墓あるなりと。(東京名所図会より)
海蔵寺所蔵の文化財
- 身禄行者墓(文京区登録文化財)
海蔵寺の周辺図
参考資料
- 「本郷區史」
- 東京名所図会