神齢山護国寺|桂昌院の発願により創建、真言宗豊山派の大本山
護国寺の概要
真言宗豊山派寺院の護国寺は、神齢山悉地院と号します。護国寺は、真言宗豊山派大本山で、5代将軍徳川綱吉の母、桂昌院の発願によって天和元年(1681)に創建されました。1200石の御朱印寺でした。御府内八十八ヶ所霊場87番札所、江戸三十三箇所観音霊場第13番、東京三十三観音霊場24番札所、東国花の寺百ヶ寺です。
山号 | 神齢山 |
---|---|
院号 | 悉地院 |
寺号 | 護国寺 |
住所 | 文京区大塚5-40-1 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | 護国寺桂昌殿 |
備考 | 御府内八十八ヶ所霊場87番、江戸三十三箇所観音霊場第13番、東京三十三観音霊場24番 |
※御朱印画像はいけみずさんよりの寄贈
護国寺の縁起
護国寺は、5代将軍徳川綱吉の母、桂昌院の発願によって天和元年(1681)に創建、江戸幕府から寺領1200石の御朱印状を拝領、真言宗豊山派の大本山です。
「小石川区史」による護国寺の縁起
神齢山悉地院護國寺。新義真言宗豊山派大和長谷寺末。本尊は琥珀如意輪観世音菩薩、開山は亮賢僧正である。當寺の草創については『江戸名所圖會』に『求凉亭云く、當寺は京の清水寺を模さるる故に、前の町を音羽と名付け、又青柳町、櫻木町など名付けられ、又音羽町九丁あるも、京に一條より九條までの名あるにもとづくとぞ』とあり、天和元年、将軍綱吉が母公桂昌院の請に依り、元の高田御薬園の地へ一寺を建立し、桂昌院の念持佛であつた天然琥珀観音像を本尊とし、寺領三百石を寄進したのに始まる。その後桂昌院及び綱吉も度々参詣し、元禄七年には寺領三百石を加増して六百石とし、同十年には幕命によつて観音堂を造營し、更に寺領百石を増し、十六年には五百石を加増して、凡そ千二百石の朱印を給はつた。かうして本寺は善美を盡せる大伽藍を擁し、将軍の祈願所として、府内屈指の巨刹として、誰れ一人知らぬものがないほど著名になつた。
享保五年神田護持院が焼失した時、幕命に依つて、護持院を當寺に併置し、観音堂の方を7護國寺、本坊の方を護持院と稱し、護持院の住持が當寺を兼攝した。兩寺領凡て二千七百石を賜はり、其規模の壮大であつた事は、『江戸名所圖會』所載の護持院、及び護國寺の圖を見ても知られる。又府内八十八ヶ所の八十七番札所としても多くの参詣者を集めた。
明治維新後、護持院は復職して、寺號を廢したが、護國寺は開山以来の法派を保持し、従来護持院と稱した部分の堂宇も護國寺分に復した。然るに明治十六年失火して舊本坊を焼失し、更に大正十五年には天和草創當時の本堂たりし大師堂を失つたが、本坊は直に再建し、元禄時代に建築した薬師堂を大師堂跡に移して大師堂とした。現在の本堂は元禄十年建立の観音堂で、その結構は雄大であり、元禄時代の代表的建築物として、寛永時代に建立された浅草寺本堂と併稱せられ、都下の江戸時代代表的大建築として特別保護建造物に指定されて居る。また昭和三年、原氏の寄進になる月光殿が有る。これは元滋賀縣大津市の三井園城寺の中院にあつた日光院の客殿で、桃山時代の書院作りの形式を備へた代表的建築物の一つとして、特別保護建造物に指定されて居り、桃山時代の建築としては東都随一の物である。
尚ほ本堂の側に、畿内各地の名物を模造して高橋箒庵居士の寄進した石燈籠二十基があり、東都の一名物として好古家の推賞する所となつてゐる。又大師堂前には同じく箒庵居士の盡力に依つて成つた茶亭、仲麿堂及び圓成庵がある。斯く由緒が深い寺であるだけに、寺寶の數も多く、又見るべき物も少くない。
當寺の墓地は明治二十四年三條實美公の墓地に選ばれて以来、山田顯義伯、大隈侯、山縣公、二荒伯、田中伯、酒井伯、島津公、南部伯、平田伯、河野盤州、梅謙次郎、竹添進一郎氏等維新の元勲を始め、多くの近代名士の墓域となり、俗に『公園墓地』の稱がある。
是等の諸建築物や墓地を有する當寺は概ね丘陵の上に有り、境内頗る廣濶、林樹風致に富み、築山、池水等もあつて公園の趣を呈し、又音羽通り十數町を其門前町とし、現に市内屈指の佛刹である。
當寺は現在新義真言宗豊山派別格本山で、寺内には豊山派宗務所、豊山中學校等があつて、同派政教の中心をなし、又その社會事業部は幼稚園、職業紹介所、兒童圖書館等を経營して、社會事業にも相當の活躍を見せてゐる。(「小石川区史」より)
史跡さんぽ平成10年度実施報告書による護国寺の縁起
護国寺は、天和元年(1681)2月、5代将軍綱吉が、生母桂昌院の願いを入れ、高田薬園の地に寺院を創建したのが始まりである。本堂は桂昌院念持仏の天然琥珀如意輪観音菩薩像である。堂宇は天和2年(1682)完成した。同3年には桂昌院が初めて当寺を参詣された。
現在の観音堂(本堂)は元禄10年(1697)正月、新営の幕命があり、約半年あまりの工事日数で完成した。同年8月落慶供養の式典が、盛大に挙行された。元禄時代の建築工芸の粋を集め結実した大観音堂であり、その華麗さ雄大さは都下随一と賞されている。
将軍綱吉も、生母桂昌院とともに参詣し、寺領も1200石に加増された。その後、桂昌院は三十数回にわたり参詣し、そのつど境内の建造物が完備されていった。
明治16年、大正15年と火災で堂宇のいくつかを失った。しかし、観音堂(本堂)は元禄以来のもので、薬師堂、大師堂、仁王門、惣門、鐘楼など、創建当時のものと考えられる。(史跡さんぽ平成10年度実施報告書より)
護国寺所蔵の文化財
護国寺には、国指定重要文化財7件、都指定文化財2件、文京区指定文化財17件と数多くの文化財があります。
- 亮賢僧正墓(東京都指定文化財)
- 三条実美墓(東京都指定文化財)
- 大師堂(文京区指定文化財)
- 薬師堂(文京区指定文化財)
- 大師堂(文京区指定文化財)
- 護国寺鐘楼(付梵鐘)(文京区指定文化財)
- 護国寺惣門(文京区指定文化財)
- 護国寺仁王門(文京区指定文化財)
- 亮賢僧正像(文京区指定文化財)
- 絵馬(文京区指定文化財)
- 騎竜観音菩薩像(文京区指定文化財)
- 隆光僧正像(文京区指定文化財)
- 不動明王像 (文京区指定文化財)
- 地蔵菩薩立像 (文京区指定文化財)
- 聖観音菩薩像 (文京区指定文化財)
- 如来形坐像 (文京区指定文化財)
- 大日如来坐像 (文京区指定文化財)
- 鳩杖[及び別製杖](文京区指定文化財)
- 隆光僧正日記(文京区指定文化財)
- 護持院日記(文京区指定文化財)
- 護国寺日記(文京区指定文化財)
- 音羽講中・庚申塔 (文京区指定文化財)
- コンドル墓 (文京区指定文化財)
護国寺の周辺図
参考資料
- 「小石川區史」
- 「史跡さんぽ平成10年度実施報告書」