水神山古墳。我孫子市高野山にある旧跡・名所
水神山古墳の概要
水神山古墳は、我孫子市高野山にある名所旧跡です。水神山古墳は、高野山の台地先端部に位置する前方後円墳です。全長69m、後円部直径36m、前方部幅3mあり、東葛地区最大の前方後円墳で、4世紀末から5世紀初頭には築造されたのではないかと考えられ、平成4年千葉県史跡に指定されています。
旧跡・名所名 | 水神山古墳 |
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みどころ | 千葉県指定史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 我孫子市高野山74 |
備考 | - |
水神山古墳の縁起
水神山古墳は、高野山の台地先端部に位置する前方後円墳です。全長69m、後円部直径36m、前方部幅3mあり、東葛地区最大の前方後円墳で、4世紀末から5世紀初頭には築造されたのではないかと考えられ、平成4年千葉県史跡に指定されています。
境内掲示による水神山古墳について
水神山古墳は高野山の台地先端部に位置する前方後円墳です。昭和40(1965)年に東京大学考古学研究室による発掘調査が行われました。その結果、古墳はほぼ東西方向に主軸をもち、全長(周溝中心間距離)69m、後円部の直径36m、前方部の幅33m、周囲に設けられた周溝の幅約6m、後円部墳頂までの高さ約5m、前方部墳頂までの高さ約2.5mであり、東葛地区最大の前方後円墳であることが判明しました。後円部墳頂には古墳主軸に合わせるように長さ5.13m、直径0.7mの割竹型木棺をローム土で包んだ粘土槨(長さ7.2m、幅0.9m)が埋葬されていました。棺内には長さ1.5m、幅0.3mの範囲に朱が残り、ガラス小玉280個、ガラス管玉1個、滑石製管玉1個、刀子2本、針数本が副葬されていました。出土状態から判断すると、被葬者はガラス小玉のネックレスを胸に、左手首にガラス小玉の腕飾りをして、足元に刀子と針が置かれていたようです。
前方部墳頂から土師器の壷が出土し、祭祀に使用したと考えられます。この壺は4世紀末から5世紀初頭と考えられ、この時期には既に水神山古墳が築かれていた可能性があります。前方後円墳は大和政権とのつながりが指摘されており、大和政権が我孫子に進出していた様子がうかがえます。前期古墳が集まる前原古墳(1・2号墳)は3世紀後葉に遡る方墳であり、現在のところ我孫子で最も古い古墳であると考えられています。前期古墳が集まるこの周辺は沼への眺望が良く、古墳に葬られた権力者が沼への眺望を意識し、彼らが沼を支配していたことをうかがわせます。水神山古墳は平成4(1992)年に千葉県指定史跡となっています。(我孫子市教育委員会掲示より)
水神山古墳の周辺図