芝原城跡(中峠城跡)。我孫子市中峠にある旧跡・名所
芝原城跡(中峠城跡)の概要
芝原城跡(中峠城跡)は、我孫子市中峠にある名所旧跡です。芝原城跡(中峠城跡)は、西に向かい突出する三角形状の台地を利用した中世城郭跡です。台地を南北方向に仕切った3本の空堀と3つの郭で構成されています。芝原城主の初期の領主などは不明ながら、小田原北条氏の勢力格調に伴い、小田原北条氏が滅亡するまで、河村氏が城主をつとめ、代林伊賀守順道は落城時に自刃したと伝えられています。
旧跡・名所名 | 芝原城跡(中峠城跡) |
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みどころ | 千葉県指定史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 我孫子市中峠3849古利根公園内 |
備考 | - |
芝原城跡(中峠城跡)の縁起
芝原城跡(中峠城跡)は、西に向かい突出する三角形状の台地を利用した中世城郭跡です。台地を南北方向に仕切った3本の空堀と3つの郭で構成されています。芝原城主の初期の領主などは不明ながら、小田原北条氏の勢力格調に伴い、小田原北条氏が滅亡するまで、河村氏が城主をつとめ、代林伊賀守順道は落城時に自刃したと伝えられています。
境内掲示による芝原城跡(中峠城跡)について
芝原城跡(中峠城跡)
芝原城(中峠城)は我孫子市内の中世城郭としてはその形をよく保っています。城の施設は西に向かい突出する三角形状の台地の端に構築した南北方向の3本の空堀が中心です。この空堀で台地先端部のI郭からⅢ郭まで3郭が区画されています。先端部のI郭がいわゆる本丸と考えられています。
昭和49年に現在住居地となっている部分のⅡ郭の南部の一部とⅢ郭の南側を含む部分の発掘調査が行われました。
芝原城の城主は史料の上で明記されたものは残っていませんが、言い伝えや「本土寺過去帳」の記述などから「河村氏」が城主であったことは確かなようです。河村氏は小田原の後北条氏の家臣で、もと相模の在地土豪で、後北条氏の勢力伸長に従いこの地に移ってきたようです。後北条氏滅亡のとき芝原城を守っていた城代林伊賀守順道が自刃したという言い伝えが残っています。(我孫子市・我孫子市教育委員会掲示より)
芝原城跡(中峠城跡)の周辺図