古戸観音堂|我孫子市古戸にある真言宗豊山派寺院
古戸観音堂の概要
我孫子市古戸にある真言宗豊山派寺院の古戸観音堂は、稲荷山観音院と号す寺院だったといいます。古戸観音堂の創建年代は不詳ながら、当地周辺は古代の寺院址だと伝えられ、天正20年(1592)の資料にも堂庵らしき名が記録されているといいます。一説では天明6年(1786)に法宗澄恵が堂宇を建立したともいい、稲荷山観音院という寺院だったといいます。明治維新後廃寺となり、観音堂が墓地堂として守られてきているといいます。
山号 | 稲荷山 |
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院号 | 観音院 |
寺号 | - |
住所 | 我孫子市古戸643 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
古戸観音堂の縁起
古戸観音堂の創建年代は不詳ながら、当地周辺は古代の寺院址だと伝えられ、天正20年(1592)の資料にも堂庵らしき名が記録されているといいます。一説では天明6年(1786)に法宗澄恵が堂宇を建立したともいい、稲荷山観音院という寺院だったといいます。明治維新後廃寺となり、観音堂が墓地堂として守られてきているといいます。
「我孫子市史」による古戸観音堂の縁起
観音院(古戸六四三)
山号稲荷山 真言宗豊山派 もと龍泉寺末
古房谷津へくだる台地の端近くに観音院墓地があって、その中に観音堂が建っている。
古戸東鼻の一帯は古代の寺院址であろうといわれている。南の低地が古房谷津とよばれているのも、古房すなわち寺院の房があったことに由来するといい、天正二十年(一五九二)の「下総国勝鹿郡仲相馬之内古戸村御縄打帳」(阿曽一郎蔵)には、首慶庵、等光坊など堂庵らしい名が記録されている。ただし、それらが観音院に相当するものであるか否かは不明である。
一説に、天明六年(一七八六)四月堂宇建立、住僧法宗澄恵というが、近世における寺の営みについてはほとんど知られない。かくて、明治五年に至り寺は廃寺とされ、わずかに墓地堂に仏像等が伝えられてきた。
観音堂(墓地堂)は、昭和五十七年に改築された。切妻造、向拝付、鉄板葺である。堂内には、寄棟造の小形堂が置かれていて、その中には、六臂の如意輪観音像が安置されている。(「我孫子市史」より)
古戸観音堂の周辺図
参考資料
- 我孫子市史