東浪見八坂神社|長生郡一宮町東浪見の神社
東浪見八坂神社の概要
東浪見八坂神社は、長生郡一宮町東浪見にある神社です。東浪見八坂神社は、明智光秀の一党といわれる当地の富塚家が、西国の牛頭天王社を勧請して宅地内に創建したと伝えられます。
社号 | 八坂神社 |
---|---|
祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
例祭日 | 7月7日 |
住所 | 長生郡一宮町東浪見1672 |
備考 | - |
東浪見八坂神社の由緒
東浪見八坂神社は、明智光秀の一党といわれる当地の富塚家が、西国の牛頭天王社を勧請して宅地内に創建したと伝えられます。
「千葉県神社名鑑」による東浪見八坂神社の由緒
由緒に関する記載なし(「千葉県神社名鑑」より)
「一宮町史」による東浪見八坂神社の由緒
八坂神社
字東浪見の大村に鎮座する。祭神は須佐之男命を祭る。古くは午頭天王社として信仰されていた。大村の富塚家(俗称藤島)の先祖が宅地内(現在の境内地)に西国より勧請したものと伝えられている。富塚家は明智光秀の一党といわれ、東浪見に多い美濃系一族の氏神として祭ったものであろう。同系神社京都祇園社縁起に、元慶年中京都八坂に薬師堂をたてて、ここに午頭天王の本地仏を祭り祇園社の基を開いたとある。このことより推察して、維新前に本社の別当寺であった遍照寺に安置する金剛薬師如来と関係があるものかも知れない。神剣・神鏡を別当寺に寄託したとも伝えられるが現存しない。
祭礼は七月七日、旧東浪見村内を部落つぎに受け渡して神輿の渡御が行われるもので、昔は数日にわたったこともある。(「一宮町史」より)
東浪見八坂神社の周辺図
参考資料
- 「千葉県神社名鑑」
- 「一宮町史」