法立山長円寺|永正年間創建
長円寺の概要
日蓮宗寺院の長円寺は、法立山と号します。長円寺は、日什上人(明徳3年1392年寂)を開山に仰ぎ、日題上人(大永4年1524年寂)が永正年間(1504-21)に創建、寺域狭少のため、明暦年間8世真寿院日宣の代に、鍛冶滝より当地へ移転したといいます。
山号 | 法立山 |
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院号 | - |
寺号 | 長円寺 |
住所 | 長生郡長南町長南480 |
宗派 | 日蓮宗 |
縁日 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長円寺の縁起
長円寺は、日什上人(明徳3年1392年寂)を開山に仰ぎ、日題上人(大永4年1524年寂)が永正年間(1504-21)に創建、寺域狭少のため、明暦年間8世真寿院日宣の代に、鍛冶滝より当地へ移転したといいます。
「長南町長南の歴史と民俗」による長円寺の縁起
瀧之内
法立山長円寺(顕本法華宗)
創建年代は明瞭ではないが、開山と考えられる日題の没年が、東金市台方にある法光寺の墓碑によると大永四年(一五二四年)であることから、室町時代後半の永正年間(一五〇四年~一五二〇年)と考えられる。また、建立の願主は、武田三河守信高の家臣大武将監信政であったことが、当時に保存されている記録の断片から知ることができる。
創建当時は、現在の場所ではなく、鍛冶瀧地区にあったようであるが、中興開山日宣(八世住職) の位牌に「本堂造立願主」とあることから、境内が狭かったことから、寛永年間(一六二四年~一六四三年) にこの地に移転した可能性がある。
現在の本堂は消失により再建されたものであるが、宝暦八年(一七八五年)日喜(十三世住職)の時に近藤彦右衛門夫妻により建立されたことが棟札に記載されている。なお、消失の原因については二説伝えられており、ひとつはお盆の時に墓の線香から出火し本堂に類焼が及んだとされる説、もうひとつは、宝暦五年(一七五五年) の瀧之内の大火の折りに飛び火のため炎上したとされるものである。
檀家数は約百戸程で、長南地区をはじめ、著荷沢、水沼、山内などの長南町内および近接する長柄町にまで及んでいる。
(中略)
主な行事としては、施餓鬼が八月十五日、御会式が十月十三日に開かれている。
なお境内内に鬼子母神堂が所在したと伝えられる。(「長南町長南の歴史と民俗」より)
「日蓮宗寺院大鑑」による長円寺の縁起
永正(1504~21)年間の創立。開山日什(明徳3(1392)年2月28日寂)。開基日題。開基檀越武田豊信。迁師寮法縁。三派合同以前は顕本法華宗。明暦年間8世真寿院日宣の代、寺域狭少のため、檀越大竹将監信政の寄進により、鍛冶滝より現在地に移転。宝暦5年、13世日喜の代に本堂焼失、同8年近藤彦右衛門の寄進により再建。昭和11年、22世尚信院日淳の代、改築縮小した。旧城下町のため寺院が多い。(「日蓮宗寺院大鑑」より)
法立山長円寺の周辺図
参考資料
- 「長南町長南の歴史と民俗」
- 「日蓮宗寺院大鑑」