長福壽寺|長生郡長南町長南にある天台宗寺院

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太平野山長福壽寺|天台宗関東十檀林、関東百八地蔵霊場

長福壽寺の概要

天台宗寺院の長福壽寺は、太平野山と号します。長福壽寺は、延暦17年(798)に最澄(傳教大師)が創建したと伝えられ、正平8年(1353)比叡山山門惠光坊義憲が再興、朝廷より「三途河頭極楽東門太平野山蓮華臺上本成實院阿彌陀坊長福壽寺」の号を拝受したといいます。徳川家康の関東入国後には天正19年(1591)寺領50石の御朱印状を受領、天台宗関東十檀林(僧侶を養成する本山)の一に数えられ、房総三ヶ国308ヶ寺の觸頭を勤めた本山寺院でした。現在は、本堂前に「吉ゾウくん」「結愛ちゃん」の二頭の象を配し、おみやげ処「吉ゾウくんのお庭」や絵馬書き処、冷暖房付き室内休憩所などを供えた参詣者に優しい寺院となっています。関東百八地蔵霊場75番です。

長福壽寺
長福壽寺の概要
山号 太平野山
院号 -
寺号 長福壽寺
住所 長生郡長南町長南969
宗派 天台宗
縁日 -
葬儀・墓地 -
備考 -



長福壽寺の縁起

長福壽寺は、延暦17年(798)に最澄(傳教大師)が創建したと伝えられ、正平8年(1353)比叡山山門惠光坊義憲が再興、朝廷より「三途河頭極楽東門太平野山蓮華臺上本成實院阿彌陀坊長福壽寺」の号を拝受したといいます。徳川家康の関東入国後には天正19年(1591)寺領50石の御朱印状を受領、天台宗関東十檀林(僧侶を養成する本山)の一に数えられ、房総三ヶ国308ヶ寺の觸頭を勤めた本山寺院でした。現在は、本堂前に「吉ゾウくん」「結愛ちゃん」の二頭の象を配し、おみやげ処「吉ゾウくんのお庭」や絵馬書き処、冷暖房付き室内休憩所などを供えた参詣者に優しい寺院となっています。

「稿本千葉県史」による長福壽寺の縁起

大平野山長福壽寺
同郡同上(長生郡舊上埴生郡)廳南町字長南字三途臺にありて、天台宗なり、境内三千三百十坪。寺傳に云ふ、延暦十七年八月僧最澄の創建にして正平八年比叡山山門惠光坊義憲再興す、勅して「三途河頭極楽東門太平野山蓮華臺上本成實院阿彌陀坊長福壽寺」の號を賜へりと。檀林にして房總三國中三百八寺を總管す、天正十九年徳川家康寺領五十石を寄す、寛政及び文化中兩度祝融に係り、後再三建立したれども漸く破壊して今は衰毀せり、智證大師の筆不動明王像、慈惠大師自筆の紺紙金泥法華經、法親王公延の扁額、法親王公澄自書の紺紙金泥壽陀羅尼經猶存す、本村内末寺四ヶ寺あり(「稿本千葉県史」より)

「長南町長南の歴史と民俗」による長福壽寺の縁起

三途台
大平埜山長福壽寺
寺伝では、延暦十七年(七九八年)に最澄によってこの地に移されたとされ、天平八年(一三五三年)比叡山山門恵光坊義憲が再興した。「三途河東、極楽東門、太平野山、閻浮大乗、本実成院、阿弥陀坊、長福書寺」という二十八字の長い寺号を授かり、天台宗における房総三国三〇八か寺を総管する格式が与えられ、下寺が瀧之内と西谷に各一寺ある。
檀家は約一〇〇戸で地域は限定されておらず、毎年九月二日には大川施餓鬼が行われ、かつては、品十九里方面の漁師たちも多数参拝に訪れていた。(「長南町長南の歴史と民俗」より)


長福壽寺所蔵の文化財

  • 禁制文書附制札(長南町指定文化財)
  • 木造阿弥陀如来坐像(長南町指定文化財)
  • 元三慈慧大師像(千葉県指定文化財)

禁制文書附制札

天台宗 太平野山 長福寿寺
禁制文書は、縦四七センチ、横六五・五センチの和紙。
制札は、縦四三センチ、横八三センチの杉材を用いている。
長福寿寺に遺る禁制文書は、天正一八年(一五九〇)六月日付豊臣秀吉朱印のものといわれ、徳川軍が房総を攻略するにあたって秀吉の名において各所に出されたものの一つであり、制札とともに由緒ある長福寿寺と門前の人々に安堵を目的として下したものとみられる。
制札は、室町時代から明治初期にかけて禁制・掟などを記し、人の往来する路傍等に立てた掲示板のことで高札・下知札ともいう。(長南町教育委員会掲示より)

木造阿弥陀如来坐像

ヒノキ材による寄木造り。像高は一四〇・八センチメートル。螺髪を旋毛状に表し矧ぎ付ける。肉髻珠・白毫相を表す。衲衣は左肩より右肩に少し掛け、右腕の下を通り再び左肩に掛ける偏袒右肩とする。阿弥陀定印を結び、右足を上にして結跏趺坐する。
本像は衣文の表現、顔の造作等の細部処理に相違が見られるものの、像全体のバランス、シルエットは宇治平等院の阿弥陀如来坐像(天喜元年/一〇五三)の端正さと優美さを漂わせている。残念ながら墨書銘等が現存しておらず詳細は不明であるが、定朝系の正統な技法を持った中央の仏師による、平等院像よりやや時代が下った平安時代後期の製作と推定される。
本像の由来は明らかではないが、長福寿寺への来歴として、同寺に残る木札に「承応二(一六五三)年、同寺の住職で江戸の護国院を兼務していた生順が本堂を修営した際に、恵心僧都の作と伝えられていた本像を京都より請来し、本尊として安置し入仏供養した」との記述が見られる。(長南町教育委員会掲示より)

元三慈慧大師像

元三大師は日本一の厄除け大師として有名です。正式には慈恵大師良源というお名前で、俗には元三大師、角大師・魔滅大師と呼ばれます。
平安時代の高僧で、第十八代天台座主となります。
天台宗中興の祖として知られ、観音さまの化身とも云われています。おみくじの創始者です。
この元三大師に一心に祈願すれば、「災難」「厄」が「飛躍」となり、輝かしい未来が訪れると云われています。
この像は寄木の木造で、高さ四十一cm、胎内に墨書銘があり、室町時代、延徳二年(一四九〇年)、鎌倉の仏師が長南城主・長南太郎の意を受け取り、長福寿寺に寄進されたことが記されています。(境内掲示より)

太平野山長福壽寺の周辺図


参考資料

  • 「稿本千葉県史」
  • 「長南町長南の歴史と民俗」