三島山東漸寺|慶長17年に曹洞宗寺院として開山、寺領18石の御朱印状
東漸寺の概要
曹洞宗寺院の東漸寺は、三島山と号します。東漸寺の創建年代等は不詳ながら、かつては東漸寺谷にあり、上総之助広常の祈願寺と武心守護御霊場の密教寺院だったといいます。光室恵珍が慶長17年(1621)に曹洞宗寺院として開山、慶安2円(1649)には徳川家光より寺領18石の御朱印状を受領しています。
山号 | 三島山 |
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院号 | - |
寺号 | 東漸寺 |
住所 | 長生郡一宮町一宮5146 |
宗派 | 曹洞宗 |
縁日 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
東漸寺の縁起
東漸寺の創建年代等は不詳ながら、かつては東漸寺谷にあり、上総之助広常の祈願寺と武心守護御霊場の密教寺院だったといいます。光室恵珍が慶長17年(1621)に曹洞宗寺院として開山、慶安2円(1649)には徳川家光より寺領18石の御朱印状を受領しています。
「一宮町史」による東漸寺の縁起
東漸寺
大字一宮字東院にある。三島山東漸寺と称する。この山号は、上宿に鎮座する三島神社の別当であったためで、もとは東漸寺谷にあった密教系寺院であった。曹洞宗寺院としての開山は後水尾天皇の慶長十七年(一六二一年)七月、光室恵珍によってなされ、現在地に移転した。慶安二年(一六四九年)に、家光より寺領十八石の寄進を受け御朱印寺となった。仁孝天皇の文政十二年(一八二九年)十二月十八日、火災にあって旧記・什宝・堂宇を焼失した。現在の堂宇・附属建物は、天保四年(一八三四年)四月に再建したものである。本堂は大工棟梁市原郡国木村兼網五右衛門重信の施工による四方垂木茅葺・角柱桝形組の形式で、町内に現存する最大の寺院建築である。また、欄間には菊水の彫刻がある。本尊不動明王(約二〇センチメートル)は、檀家渡辺定右衛門というものが、いつの頃か当地の海辺で拾得したもので、自宅に奉安して信仰していたが、故あって当寺に奉安したものといわれる。また、境内の閻魔堂には、閻魔十五尊・倶生神をまつる。これらの像は、享保九年(一七二四年)五月に、当寺七世越山雄先代に大仏師大弐木原左右によって作られたもので、近郷には作例が少ない。最近まで、八月一日・十六日の縁日には参詣者も多かった。
行事としては、四月十六日に「大般若経転続」が行なわれる。使用する大般若経六百巻は、延宝五年(一六七八年)五月に宇治広葉山宝蔵院沙門鉄眼禅師の発刊のものである。大般若経転読は、祈祷を目的とした密教系の行事であるが一部の禅系寺院においても行なわれているものである。しかし、ここの場合、密教系の寺院であった頃より行なわれていたものらしい。延宝年間の大般若経再興奉賀帳に、「上総長柄郡一宮郷三島山東漸寺は往古上総之助広常の祈願寺と武心守護御霊場なり。」とあり、古くより大般若経転読を行なっていた形跡があることによっても密教系行事の継承とみられる。また、正月・十月には奥谷・宮後・抜井戸の三地区のうち六軒の特定の家を訪れて大般若祈祷を行なっているが、これも曹洞系寺院としては珍しい行事である。(「一宮町史」より)
三島山東漸寺の周辺図
参考資料
- 「一宮町史」