善光寺|長生郡一宮町宮原にある天台宗系単立寺院

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安養山善光寺|一宮町指定文化財の銅造阿弥陀如来立像

善光寺の概要

天台宗系単立寺院の善光寺は、安養山と号します。善光寺の創建年代等は不詳ながら、かつては信友村善行寺寺原にあったと伝えられます。土気城主酒井越中守定隆が領内の寺院を日蓮宗に改宗させた「七里法華のお触れ」により、当地へ移転してきたものと推定されています。当寺本尊の銅造阿弥陀如来立像は、鎌倉時代後期といわれ、一宮町文化財に指定されています。

善光寺
善光寺の概要
山号 安養山
院号 -
寺号 善光寺
住所 長生郡一宮町宮原760
宗派 天台宗系単立
縁日 -
葬儀・墓地 -
備考 -



善光寺の縁起

善光寺の創建年代等は不詳ながら、かつては信友村善行寺寺原にあったと伝えられます。土気城主酒井越中守定隆が領内の寺院を日蓮宗に改宗させた「七里法華のお触れ」により、当地へ移転してきたものと推定されています。

「一宮町史」による善光寺の縁起

善光寺
字宮原にあり、もと信友の善光寺原にあったといわれる。地域の状況よりみて日蓮宗の教線拡張の影響による移転であったと推察される。本尊は、阿弥陀如来(鋳造善光寺三尊)で、徳川時代中期には信仰するものが多かったといわれる。脇士の二体は紛失したらしく現存しない。また、阿弥陀如来の腹中に天文二年(一七三七年)七月朔日修繕、寛政九年(一七七九年)十月九日修繕の二つの文書が発見されているが、本尊には修復の形跡はないので、脇士または台座の修繕と思われる。(「一宮町史」より)


善光寺の縁起

  • 銅造阿弥陀如来立像一軀(一宮町指定文化財)

銅造阿弥陀如来立像一軀

この阿弥陀如来立像は、金銅仏で善光寺式三尊仏ともいい、天台宗安養山善光寺の本尊である。もと善光寺といい、信友村善行寺寺原にあったと伝えられる。
室町中期の長享二年(一四八八)ころ、土気城主酒井越中守定隆は、七里法華のお触れを出し、領内の寺院を日蓮宗に改宗させた。この寺が、いつ頃宮原村へ移されたか、開基の年代は不詳である。
銅像は、総高さ六一センチ、像高四九センチで鋳上りがよく、三尊仏の中尊で、脇侍は何時のころか失われた。
天文二年(一五三三)に修理された胎内文書があり、右手首と台座はあとで修造されたものであろう。台座に上総一宮匠工の刻銘があり、制作年代は鎌倉時代後期といわれ、すぐれた作柄である。茂原市中善寺の天台宗行徳寺にも、善光寺式三尊仏三軀がみられる。(一宮町教育委員会掲示より)

安養山善光寺の周辺図


参考資料

  • 「一宮町史」