飯山満町王子神社|船橋市飯山満町の神社
飯山満町王子神社の概要
飯山満町王子神社は、船橋市飯山満町にある神社です。飯山満町王子神社の創建年代等は不詳ながら、上飯山満地区で一番古くから祀られてきた社で、文政9年(1826)には織戸加賀守藤原光晴が神主として奉仕していたといいます。
社号 | 王子神社 |
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祭神 | 建御名方神 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷神社、浅間神社 |
住所 | 千葉県船橋市飯山満町3-1465 |
祭日 | 10月9日 |
備考 | - |
飯山満町王子神社の由緒
飯山満町王子神社の創建年代等は不詳ながら、上飯山満地区で一番古くから祀られてきた社で、文政9年(1826)には織戸加賀守藤原光晴が神主として奉仕していたといいます。
境内掲示による飯山満町王子神社の由緒
由来
当神社は飯山満町三丁目一四六五番地に鎮座まします大神にて王子神社と称し、祭神は建御名方神を祭る飯山満三丁目に唯一の産土様で旧下総の国上飯山満村でも最も古く、現在の神社は文政五年再建され当時織戸加賀守藤原光晴が神主として奉仕して参った事が今も本社内に記されて居ります。祭神は大国主之命の次子で長野県諏訪市に在る元官幣大社諏訪神社の分社で全国に約五千五百社を数える上諏訪町上社・下諏訪町下社が鎮座ますます建御名方之神は父神大国主神と共に我が国建国の功労神とされその後八坂刀売神は、信濃国が生んだ女神で、両神は揃って信濃の国の開拓に力を尽され、その功績は今も付録伝えられています。明治初年織戸家(赤門神主)及び近隣大火災の為、書類焼失なれ共昔より長久三丁目の先祖の氏子が四十五戸の家々で現在の神社を再建し奉り敬神の念厚く家運隆盛、家内安全を願い奉って参りました。戦後(昭和二十年後)多くの方々が此の飯山満三丁目に移住し来り先祖として立派に開拓されて三丁目も今や二千戸を数える唯一の神社として開拓の神、交通安全の神として祭られております。皆様も協参奉賛会に御加入願います。
王子神社(境内掲示より)
千葉県神社名鑑による飯山満町王子神社の由緒
由緒に関する記載なし(千葉県神社名鑑より)
「船橋市史」による飯山満町王子神社の由緒
(上飯山満村)
皇子神社
上飯山満本郷の産土社。『県神明細』には由緒不詳とある。(「船橋市史」より)
「千葉縣千葉郡誌」による飯山満町王子神社の由緒
王子神社
二宮村上飯山満に鎮座す。建御名方命を祀る。本殿間口意見奥行五尺五寸、拝殿間口三間奥行二間、境内五百六十一坪、境内神社稲荷神社、浅間神社。氏子三十戸あり。(「千葉縣千葉郡誌」より)
飯山満町王子神社の周辺図
参考資料
- 「船橋市史」
- 千葉県神社名鑑