楠が山熊野神社|船橋市楠が山町の神社
楠が山熊野神社の概要
楠が山熊野神社は、船橋市楠が山町にある神社です。楠が山熊野神社の創建年代等は不詳ながら、明治維新後の社格制定に際し村社に列格していました。
社号 | 熊野神社 |
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祭神 | 伊弉諾尊、伊弉冉尊、天照皇大神 |
相殿 | - |
境内社 | 古峰神社 |
住所 | 千葉県船橋市楠が山町199-1 |
祭日 | - |
備考 | - |
楠が山熊野神社の由緒
楠が山熊野神社の創建年代等は不詳ながら、千葉氏の一族吉橋丹後守胤俊が建治元年(1275)に創建したと伝えられます。楠ヶ山の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し村社に列格していましたが、現在は法人登記されていません。
千葉県神社名鑑による楠が山熊野神社の由緒
非法人のため記載なし(千葉県神社名鑑より)
「船橋市史」による楠が山熊野神社の由緒
(楠ヶ山村)
熊野神社
『県神明細』には「建治元年吉橋ノ城主古橋丹後守胤俊創立し云々とある。しかし、鎌倉時代の建治元年(一二七五)に、吉橋(八千代市)に吉橋胤俊なる武士がいたとは考えがたく、これもあくまで伝承である。(「船橋市史」より)
「千葉縣千葉郡誌」による楠が山熊野神社の由緒
楠ヶ山
吉橋の城主、吉橋丹後守胤俊後宇多天皇の建治年間(凡六百五十年前)熊野三社を建立したり。(青蓮院記)
吉橋丹後守胤俊は、もと千葉氏の一族にして、睦村吉橋の神取山に居城を有せしが、或る時某氏と故ありて、干戈を交へ戰利あらずして、一族郎黨四散し、その一部は同所に止り、一部は楠ヶ山の臺地金堀の前の邊田等に竄匿し、永く農に隠れたりといふ。今楠ヶ山、金堀等に吉橋姓を名乗れるものはその子孫なりとぞ。
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熊野神社
豊富村楠ヶ山字宮坂に鎮座す。伊弉諾尊、伊弉冊尊、天照大神を祭る。社殿は方四尺にして拝殿あり間口三間奥行二間、建治元年吉橋城主吉橋丹後守胤俊の創立せしものと傳へらる。白幡神社、地守護神社、駒形神社の三社、同境内にあり。境内三百三十五坪、風致眺望見るべきなし。永禄三年再建し明治十一年二月二十八日焼失により。仝年四月之を再建す。(「千葉縣千葉郡誌」より)
楠が山熊野神社の周辺図
参考資料
- 「船橋市史」
- 千葉県神社名鑑