玉井山光明寺|船橋市小野田町にある日蓮宗寺院
光明寺の概要
船橋市小野田町にある日蓮宗寺院の光明寺は、玉井山と号します。光明寺は、大同2年(807)に真言宗(年暦が正しければ法相宗)寺院として創建、日学が開山となり永仁2年(1294)日蓮宗寺院に改めたといいます。明治8年には当寺で野田小学校が開校、昭和4年まで本堂・庫裡が供用されていました。また、当寺祖師堂(飛地)は、荻堂とも称され、祖師堂となる前は真言宗阿弥陀堂と称されていたといいます。
山号 | 玉井山 |
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院号 | - |
寺号 | 光明寺 |
住所 | 船橋市小野田町616 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
光明寺の縁起
光明寺は、大同2年(807)に真言宗(年暦が正しければ法相宗)寺院として創建、日学が開山となり永仁2年(1294)日蓮宗寺院に改めたといいます。明治8年には当寺で野田小学校が開校、昭和4年まで本堂・庫裡が供用されていました。また、当寺祖師堂(飛地)は、荻堂とも称され、約千年前の創立と伝えられ、祖師堂となる前は真言宗阿弥陀堂と称されていたといいます。
「船橋市史」による光明寺の縁起
(小野田村)
光明寺
日蓮宗。『法華本末』に法華経寺末寺として載せられている。『県寺明細』には由緒不詳とある。しかし、元和八年の棟札が残されているので、当寺が江戸時代初期に存在していたことは疑いがない。また別の棟札から日本堂の厨子と宮殿は文化八(一八一一) ・九年に、多数の村の講中により奉納されたものであることが知られる。(「船橋市史」より)
「千葉縣千葉郡誌」による光明寺の縁起
小野田
光明寺、祖師堂の二建築物は、大同二年(凡一千百年前)の創立にして、當時は眞言宗の道場なりしも、後改宗して日蓮宗となれり。
光明寺
豊富村小野田にあり。開基開祖不詳。本尊は釋迦牟尼佛なり。境内間數三百六十一坪を算し、檀徒人員二百四十四人を數ふ。(「千葉縣千葉郡誌」より)
「日蓮宗寺院大鑑」による光明寺の縁起
永仁2(1294)年の創立。開山日学。達師法縁。飛地に祖師堂(一名萩堂)があり、約一千年を経ており、もと真言宗弥陀堂といっていたという。明治8年より昭和4年2月まで、小野田小学校として本堂・庫裡を使用していた。(「日蓮宗寺院大鑑」より)
光明寺の周辺図
参考資料
- 「船橋市史」
- 「千葉縣千葉郡誌」
- 「日蓮宗寺院大鑑」