長福寺|船橋市夏見にある曹洞宗寺院

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夏見山長福寺|夏見加賀守中興、下総三十三ヶ所観音霊場初番

長福寺の概要

船橋市夏見にある曹洞宗寺院の長福寺は、夏見山と号します。長福寺は、円融天皇(在位969-984)の代に草創したと伝えられ、その後荒廃したものの、夏見加賀守政芳が永禄年間(1558-1569)に再興したとも、夏見豊島勘解由左衛門尉平朝臣胤定が聖観音像を奉納した天文5年(1536)ともいいます。江戸時代には、幕府より観音堂領として寺領5石の御朱印状を受領していました。聖観世音菩薩像は、夏見豊嶋勘解由左衛門平朝臣胤定が天文5年(1536)に奉納したもので、船橋市有形文化財に指定されている他、下総三十三ヶ所観音霊場の初番となっています。

長福寺
長福寺の概要
山号 夏見山
院号 -
寺号 長福寺
本尊 聖観世音菩薩像
住所 船橋市夏見6-23-3
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



長福寺の縁起

長福寺は、円融天皇(在位969-984)の代に草創したと伝えられ、その後荒廃したものの、夏見加賀守政芳が永禄年間(1558-1569)に再興したとも、夏見豊島勘解由左衛門尉平朝臣胤定が聖観音像を奉納した天文5年(1536)ともいいます。江戸時代には、幕府より観音堂領として寺領5石の御朱印状を受領していました。

「船橋市史」による長福寺の縁起

(東夏見村)
長福寺
曹洞宗。夏見山と号する。本尊は聖観音。当寺の起源は、寺伝では平安時代円融天皇時代の草創で、途中荒廃したのを永禄年間(一五五八~六九)に夏見加賀守政芳が再興したという。しかし、平成二年に本尊の聖観音が解体修理された際に胎内銘が発見され、以下のようなことが判明した、この聖観音が造立されたのは、天文五年(一五三六)で、造立の本願主は「当寺前住明林旭光首座」で、旦那(寄進者)は「夏見豊島勘解由左衛門尉平朝臣胤定」であった。この僧名からすると、天文年間には禅宗であった可能性があり、「夏見山長福寺本尊」の銘もあるから、長福寺の名は夏見加賀守の法名「瑞興院殿長福道榮大居士」によるとする、従来の説は改めねばならない。江戸時代に入り、慶安二年(一六四九)に観音堂領として五石の朱印地を与えられた。この時点では既に本郷村宝成寺の末寺であった。幕末に至り文久元年(一八六一)の火事で本堂・庫裏・薬医門を焼失(類焼)し、慶応四年(一八六八)の戊辰戦争の兵火でも鐘楼と庫裏を失った。(「船橋市史」より)


長福寺所蔵の文化財

  • 木造聖観世音菩薩立像(船橋市指定有形文化財)

木造聖観世音菩薩立像

長福寺は、平安時代中期に定朝作の観音像を祀った堂が始まりとされます。
過去帳によると、永禄年間(1558~1570)夏見加賀守政芳という人物が「当山往古開基」と記され、僧侶である空山を迎えたと伝えられています。江戸時代に入ると、三代将軍徳川家光の慶安2(1649)年に観音堂領として5石の朱印地を与えられました。
木造聖観世音菩薩立像は像高56.8cm、蓮台に立ち、厨子に納められています。渦巻紋の光背を有し、頭には宝冠を戴き、胸には瓔珞を垂らしており、玉眼・白毫には水晶を入れています。現状は古色を施していますが、これは元禄期の修補の際のものとみられ、蓮台・厨子・光背は元禄11(1698)年の後補です。
平成2(1990)年、解体修理の際には、胎内墨書銘が発見され、天文5(1536)年の作であることが判明しました。銘文によると、作者は「仏師成就坊秀印」、「旦那」(寄進者)は「夏見豊嶋勘解由左衛門平朝臣胤定」であることもわかりました。
本像は優れた作品であるとともに、胎内銘は当地方の戦国時代の状況を解明する貴重な資料でもあります。像は非公開ですが、50年に一度、御開帳されます。
なお、長福寺は中世の夏見城跡の一部にあたり、裏手には城の土塁の一部が残されています。(船橋市教育委員会掲示より)

長福寺の周辺図