市川春日神社|市川市市川の神社
市川春日神社の概要
市川春日神社は、市川市市川にある神社です。市川日枝神社の創建年代は不詳ですが、承応3年(1654)に再建されたといいます。当社祭礼で奉納される武内宿禰山車人形は市川市民俗文化財に指定されています。
社号 | 春日神社 |
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祭神 | 天児屋根命 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷神社 |
住所 | 千葉県市川市市川3-20-8 |
祭日 | 10月19日 |
備考 | - |
市川春日神社の由緒
市川日枝神社の創建年代は不詳ですが、承応3年(1654)に再建されたといいます。
千葉県神社名鑑による市川春日神社の由緒
承応三年(一六五四)九月一九日再建の記録の残る社であるが、創建については不明である。里見城の城下町であった当地の鎮守として崇敬され、今日に至る。里見城の城下町であった当地の鎮守として崇敬され、今日に至る。(千葉県神社名鑑より)
市川春日神社所蔵の文化財
- 武内宿禰山車人形一体(市川市指定有形民俗文化財)
千葉県神社名鑑による市川春日神社の由緒
武内宿禰山車人形は市川三丁目の春日神社に所蔵されているもので、総丈二百十二cm、身長百八十七cm、重量(質量)二十五kg~三十kg、制作年代は明治二十八年(一八九五年)で、制作後、百二十年余りが経過しています。昭和二十三年(一九四八年)までは山車に乗せられて祭礼時に町内を巡行していましたが、それ以降は交通の事情などから春日神社で組み立てられたことはあったものの、ここ二十数年は組み立てられることなく保存されてきました。
人形の製作者は、首の焼印により横山朝之(よこやまともゆき)であることが判明しています。横山朝之は淺草在住の人形師で、幕末から明治にかけて活躍した「生き人形」の流れを汲む名工として知られております。江戸時代から明治時代における人形及び人形師は、近年美術史上でも注目されており横山朝之製作の山車人形は関東で数体しか現存していないことから、このような大型の優れた造形は非常に貴重です。
その形状は、木製の骨組に腕・胴体・太腿の部分を竹材え組み上げ、和紙を貼り重ね、最期に杮渋を塗り重ねて仕上げております。頭や手足は桐材の木彫え、胡粉仕上げ、目は玉眼とし、髪の毛や眉・髭は人毛を使用しています。衣装は西陣織の金襴で、狩衣・大口袴を着付け、下着は白の綸子で付け袖とし、両肩にはめています。烏帽子は和紙製、腰には太刀を佩き、右手で珠を掲げています。
当該文化財は、宗教法人春日神社の所有に係る「祭祀具」であることから、基本的には同神社の祭礼時等に公開されます。
なお、平成二十七年度に胴体、及び衣装の復元新調を行いました。(市川市教育委員会掲示より)
市川春日神社の周辺図