國府神社|市川市市川の神社
國府神社の概要
國府神社は、市川市市川にある神社です。國府神社は、寛治元年(1087・永保7年)に創建、大鳥大神とも鳳凰大明神とも呼ばれ、市川市根本に鎮座していたといいます。当社では、日本武尊東征の帰路に江戸川の渡河地点が分からず難渋していたところ、コウノトリの示唆により江戸川を渡河できたことから、この台地をコウノダイと名付けられたと伝えられています。明治時代に陸軍兵営設置のため当地へ遷座しています。
社号 | 國府神社 |
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祭神 | 日本武尊 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷神社・天満神社 |
住所 | 千葉県市川市市川4-4-18 |
祭日 | 10月18日 |
備考 | - |
國府神社の由緒
國府神社は、寛治元年(1087・永保7年)に創建、大鳥大神とも鳳凰大明神とも呼ばれ、市川市根本に鎮座していたといいます。当社では、日本武尊東征の帰路に江戸川の渡河地点が分からず難渋していたところ、コウノトリの示唆により江戸川を渡河できたことから、この台地をコウノダイと名付けられたと伝えられています。明治時代に陸軍兵営設置のため当地へ遷座しています。
境内掲示による國府神社の由緒
永保7年2月8日(1087)創建の古社である。大鳥大神とも称される神社で、日本武尊(やまとたけるのみこと)の東国平定の際、今の江戸川の市川側の台地から武蔵国側に、大河を渡河する場所が見つからずにいると、おこからともなく一羽のコウノトリが飛来し渡河地点を指示し、無事に渡河できたことにより、その地を鴻の台と名づけ、神社は、日本武尊を御祭神として祀られている。後年陸軍兵営設置のため社は現在地に遷座され、今の社殿は、県道拡幅のため総和43年に造営されたものである。(境内掲示より)
市川市教育委員会掲示による國府神社の由緒
国府台の地名の起源には、日本武尊に関わる伝承があります。それは、日本武尊が東征の帰路に現在の江戸川の辺りに臨んだところ、浅瀬がわからず渡河に難渋したとき、飛んできたコウノトリが浅瀬を渡って案内したことにより、無事渡ることができたので、日本武尊は喜び、この台地をコウノトリに与えたことから、「鴻之台」とよばれるようになったという話です(一般的には、国府の近くにあった台地であることから、国府台の名称が起こったと言われています)。
この伝承に由来するのが国府神社で、寛治元年(一〇八七)二月八日創建で、祭神が日本武尊、ご神体がコウノトリの嘴と伝えられています。
江戸時代には「鳳凰大明神」という名称になっており、市川根本地域の鎮守であり、神社を管理する別当を務めたのが、隣接した根本寺(現国府台五丁目に所在)でした。
一七二一(享保六)年の時点で境内の面積が約一、二三四平方メートルあり、現状の面積が約五二九平方メートルであることから、二・三倍余り広かったことがわかります。
現在は国府神社という名称になり、例祭日が十月十八日え、主要な建物として、本殿、幣殿、拝殿、神輿庫などがあり、境内神社として稲荷神社と天満神社が祀られています。(市川市教育委員会掲示より)
千葉県神社名鑑による國府神社の由緒
里見時代(一三二〇年)の産土神と伝えられ、永保七年(一〇八七)二月八日の創建とされる古社である。大鳥大神ともいわれ、国府台の台地に鎮座されていたが、後に陸軍兵営のために現在の場所に移された。現在の拝殿は昭和四三年造営された。(モデル神社)。(千葉県神社名鑑より)
國府神社の周辺図