国府台天満神社|市川市国府台の神社
国府台天満神社の概要
国府台天満神社は、市川市国府台にある神社です。国府台天満神社は、太田道灌持資が当地鎮守として文明11年(1475)創建したといいます。
社号 | 天満神社 |
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祭神 | 天満大神 |
相殿 | - |
境内社 | 白山神社 |
住所 | 千葉県市川市国府台3-11-11 |
祭日 | 10月25日 |
備考 | - |
国府台天満神社の由緒
国府台天満神社は、太田道灌持資が当地鎮守として文明11年(1475)創建したといいます。
千葉県神社名鑑による国府台天満神社の由緒
御土御門天皇の御代、文明一一年(一四七五)上杉の家臣であった太田道灌左金吾持資の勧請により、天満宮の建立を行い、当地の鎮守としたと伝えられる。以来、町民をはじめとして、多くの人々の信仰の的となり現在に至る。(千葉県神社名鑑より)
国府台天満神社所蔵の文化財
- 国府台天満宮と辻切り行事(市川市指定文化財)
国府台天満宮と辻切り行事
この天満宮は文明十一年(一四七九)、当地の鎮守として、太田道灌持資が建立したと伝えています。もと法皇塚の墳頂部に祀られていましたが、明治八年(一八七五)大学校設立の用地として、周辺地域が買い上げられたとき農家と共に現在地に移されました。
この地域では古くから獅子舞・辻切りといった民俗行事が行われてきました。「辻切り」とは人畜に危害を与える悪霊や悪疫が部落に侵入するのを防ぐため、部落の出入口にあたる四隅の辻を、霊力によって遮断してしまうことから起こった名称です。
遮断の方法には注連縄を作って道に張るとか、大蛇を作ってその呪力によって侵入してくる悪霊を追い払うというような方法がとられていますが、千葉県では南部の地方では注連縄を張る部落が多く、北部の地方では大蛇を作る部落が多かったようです。
市川市でも昔は国府台、国分にかけた地域で盛んに行われた行事でしたが、太平洋戦争後は世相の移り変わりとともに次第に廃れ、今では昔の姿を伝えているのは、この国府台の辻切りだけとなってしまいました。
辻切り行事は毎年一月一七日、この天満宮境内で行われ、ワラで二メートルほどの大蛇を四体作り、お神酒を飲ませ魂入れをして、町の四隅にある樹に頭を外に向けて結び付けます。こうして大蛇は一年間風雨にさらされながら、町内安全のため目を光らせているのです。
獅子舞については、その継承者が各々の家の相続者に限られていたことと、社会情勢の変化等から、昭和十三年を最後に継承が絶えてしまいました。(市川市教育委員会掲示より)
国府台天満神社の周辺図