白幡天神社|市川市菅野の神社
白幡天神社の概要
白幡天神社は、市川市菅野にある神社です。白幡天神社の創建年代等は不詳ながら、源頼朝が治承4年(1180)当地に白旗を揚げたことにより白幡宮と名付けられたとも、また太田道灌(1432-1486)が建立したとも伝えられ、天正12年(1584)には本殿が再建されています。拝殿に掲げられている社額は勝海舟の揮毫によるもの、また明治12年社殿造営記念の板絵は柴田是真の作だといいます。
社号 | 白幡天神社 |
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祭神 | 武内宿禰、菅原道真 |
相殿 | - |
境内社 | 浅間神社、古峯神社 |
住所 | 千葉県市川市菅野1-15-2 |
祭日 | 10月19日 |
備考 | - |
白幡天神社の由緒
白幡天神社の創建年代等は不詳ながら、源頼朝が治承4年(1180)当地に白旗を揚げたことにより白幡宮と名付けられたとも、また太田道灌(1432-1486)が建立したとも伝えられ、天正12年(1584)には本殿が再建されています。拝殿に掲げられている社額は勝海舟の揮毫によるもの、また明治12年社殿造営記念の板絵は柴田是真の作だといいます。
境内掲示による白幡天神社の由緒
當宮の創建は不詳なれど治承四年(西暦一一八〇年)源頼朝が安房の国に旗上げの際、この地に白旗を掲げたるをもって白幡と名付けられたと伝えられております。其の後正親町天皇の御代、天正十二年(西暦一五八四年)に御社殿改築の記録を残し、太田道灌によって御造営されたともいわれる古社であります。また、昭和五十九年には、神社本庁振興対策モデル神社の指定を受けるにいたりました。
御拝殿に掲げられております社額は勝海舟揮毫によるものであります。明治十二年の御社殿造営を記念する板絵は柴田是真作のもので市の重要文化財に指定されております。御祭神の武内宿祢は、大変ご長命な方で、五朝の天子にお仕えなされ、尽忠無二、国務を整理された功臣第一と伝えられております。
また、後に合祀されました、御祭神菅原道真公は承和十二年(西暦八四五年)京都に誕生されて、学徳識見ともに高く、志操堅固な方であり、学問の神として廣く信仰を集めております。(境内掲示より)
千葉県神社名鑑による白幡天神社の由緒
治承四年、源頼朝が安房国に旗揚げの際、当地に白旗を掲げたことから白幡宮と名付けられたと伝えられている。天正一二年(一五八四)本殿の再建がなされている。また、後に、太田道灌によっても造営された。現本殿は明治一三年、拝殿・幣殿は昭和三六年に造営されたもので、殖産興業、学問・開運・育児・縁結びの神として広く信仰を集めている。なお、社額は勝海舟、明治の造営記念の板絵(市重要文化財)は柴田是真作のものである。神社本庁神社振興対策指定神社(モデル神社)。(千葉県神社名鑑より)
白幡天神社の周辺図