宝珠山延命寺|行徳・浦安観音霊場三十三ヵ所
延命寺の概要
市川市新井にある真言宗豊山派寺院の延命寺は、宝珠山地蔵院と号します。延命寺は、明暦2年(1656)に創建、当寺の首切り地蔵は、駆け落ちをしようとした男女が捕らわれ磔刑に処せられたのを哀れみ弔ったものだといいます。行徳・浦安観音霊場三十三ヵ所28番札所です。
山号 | 宝珠山 |
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院号 | 地蔵院 |
寺号 | 延命寺 |
住所 | 市川市新井1-9-2 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
延命寺の縁起
延命寺は、明暦2年(1656)に創建、当寺の首切り地蔵は、駆け落ちをしようとした男女が捕らわれ磔刑に処せられたのを哀れみ弔ったものだといいます。
境内掲示による延命寺の縁起
慶長元年(一五九六)建立された。正式には真言宗豊山派宝珠山地蔵院延命寺という。東京の小岩「善養寺」の末寺といわれている。本尊は、金剛界大日如来。現在の本堂は、昭和五十六年(一九八一)に建立されたものである。(境内掲示より)
「全国寺院名鑑」による延命寺の縁起
宝珠山地蔵院と号し、徳川秀忠の代の創建、開山は秀円。小岩村善養寺末。(「全国寺院名鑑」より)
「市川市内の寺院明細帳」による延命寺の縁起
明暦二丙申年七月廿四日創立開宗祖弘法大師法孫興教大師法孫慶深法孫開基(「市川市内の寺院明細帳」より)
首切り地蔵について
この地蔵は、もと江戸川堤防の新井水門わきにあり、ねね塚とよばれていた。
ねね塚は、下総生実の藩主森川半弥の家臣、久三郎とイネが駆け落ちし、女人禁制の江戸川を渡ろうとしたが幕吏に捕えられ、みせしめのため男女両人と船頭二人とその女房の五人がはりつけの刑に処せられた。(天明二年)船頭たちは、菩提寺へ引き取られたが、両人はこの地に埋められた。
後に村人たちがこれを哀れみ、石地蔵を立て後世を弔った。
不思議なことに、この石地蔵は村人が通るとかならず首が落ちていた、何度セメントでつけても落ちてしまうので村人は首切り地蔵と呼ぶようになった。
いまの地蔵は老朽化が甚だしく現住職及び総代世話人一同で再建したものである。住職敬白(境内掲示より)
延命寺の周辺図
参考資料
- 「全国寺院名鑑」