法見寺|市川市本北方にある日蓮宗寺院
法見寺の概要
市川市本北方にある日蓮宗寺院の法見寺は、妙法山と号します。法見寺は、建長年間(1249-1256)に中山の領主太田乗明公が当七面大明神を奉安する草堂を造り創建したと伝えられ、中山法華経寺6世兵部阿闍梨日薩上人が応永27年(1420)が一寺となし、以後中山歴代の隠居寺とされていたといいます。当寺北方七面堂の七面大明神像は、身延山久遠寺の七面大明神と同木の木像とされ、北方の七面さまと称されています。
山号 | 妙法山 |
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院号 | - |
寺号 | 法見寺 |
本尊 | 多宝如来・釈迦牟尼仏 |
住所 | 市川市本北方3-5-16 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
法見寺の縁起
法見寺は、建長年間(1249-1256)に中山の領主太田乗明公が当七面大明神を奉安する草堂を造り創建したと伝えられ、中山法華経寺6世兵部阿闍梨日薩上人が応永27年(1420)が一寺となし、以後中山歴代の隠居寺とされていたといいます。
境内掲示による法見寺の縁起
縁起
当山は建長(一二四九~五六年)の頃、中山の領主太田乗明公が当地に一草堂を建て七面大明神を奉安したのが始まりとされている。
後、応永二十七年(一四二〇)八月に中山法華経寺六世兵部阿闍梨日薩上人が精舎を創建し妙法山法見寺と公称した。
第三十三世照玄院日義が昭和五十三年以来、本堂をはじめ客殿・七面堂新築、山門修復、永代供養廟等を建立し境内・伽藍を整え寺観を一新した。(境内掲示より)
「日蓮宗寺院大鑑」による法見寺の縁起
応永27(1420)年の創立。開山兵部卿日薩。開基常修院日常。親師法縁。中山の大田乗明が草庵を建立し七面大明神を安置、応永27年、本山6世日薩が寺号を公称。中山歴代の隠居の寺とされた。矢田挿雲の句碑あり。(「日蓮宗寺院大鑑」より)
「市川市内の寺院明細帳」による法見寺の縁起
法見寺
釈迦多宝二仏
開宗祖師日蓮大士法孫日薩開基創立応永廿七庚子年八月
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一、境内仏堂 壱宇
七面堂
本尊 七面天女
由緒 建治三丁丑年七月日蓮上人甲州巨摩郡身延山久遠寺ニ於テ印度国吉祥天ヲ祭ル応永廿七年開基日薩上人当寺ヘ奉移候(「市川市内の寺院明細帳」より)
「千葉縣東葛飾郡誌」による法見寺の縁起
中山村誌
北方に、法見寺(日蓮宗、応永二十七年法華経寺六老僧の一人たる、日薩上人が、中山の領主太田乗明草庵の蹟に梵宇を創建せしものなり)。(「千葉縣東葛飾郡誌」より)
法見寺の周辺図
参考資料
- 「日蓮宗寺院大鑑」
- 「市川市内の寺院明細帳」
- 「千葉縣東葛飾郡誌」