北方観音|牛馬の供養塔として建立
北方観音の概要
市川市本北方にある寺院の北方観音は、文政年間(1818-1831)に牛馬の供養塔として建立、その後衰廃したものの昭和51年に北方観音再建委員会により再建され、北方観音講により維持されているそうです。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | - |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 市川市本北方3-7 |
宗派 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
北方観音の縁起
北方観音は、文政年間(1818-1831)に牛馬の供養塔として建立、その後衰廃したものの昭和51年に北方観音再建委員会により再建され、北方観音講により維持されているそうです。
境内石碑による北方観音の縁起
北方観音の由来
北方観音の起りは江戸末期の文政年間に牛馬の供養塔として建立されたのに始まる。往時から牛馬は農耕や重量物の運搬などあらゆる面で人間の手足となって日夜労苦を共にしてきたのでその死もまた人間と同様に手あつく弔われた。依頼毎年二月十九日を観音講の日として懇ろに供養してきたのもそのためである。然しそれも時代の変遷にはあがらいがたく時の流れと共に牛馬の果たしていた役割はしだいに失われ、とりわけ戦後は急速な工業化によってその総ては自動車をはじめ多様な機動力にとって代えられた。そこで吾々はそれを見るに忍びず今年二月北方観音再建委員会を発足させ直ちにその修復に着手した。経典によれば観音菩薩は衆生において生ずる諸々の苦難や災禍を未然に防ぐ救世の権化として別名救世観音ともいわれている。幸いこの吾々の宿願は美濃輪土地区画整理組合並びに町内各位の協賛を得て新たに交通安全観音としてめでたく再建されたが、当菩薩如来の宏大な慈悲は古えの牛馬の霊魂と共に諸車の交通の安全を永遠に加護してくださるものと信ずる。依ってここにその主旨の概要を記しよって北方観音の霊験あらたかならんことを祈念するものである。
昭和五十一年(一九七六)四月吉日
北方観音講一同(境内石碑より)
北方観音の周辺図