眞寶山法泉寺|行徳・浦安観音霊場三十三ヵ所
法泉寺の概要
市川市本行徳にある浄土宗寺院の法泉寺は、眞寶山と号します。法泉寺は、得誉恵公上人が元亀元年(1570)に開基したといいます。江戸期には徳川家康が鷹狩の途次当寺に立ち寄ったことから、門前の道を「権現道」と呼ぶようになったと伝えられています。明治4年(1871)4月の火災によりすべてを焼失してしまいました。行徳・浦安観音霊場三十三ヵ所13番札所です。
山号 | 眞寶山 |
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院号 | - |
寺号 | 法泉寺 |
住所 | 市川市本行徳9-8 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
法泉寺の縁起
法泉寺は、得誉恵公上人が元亀元年(1570)に開基したといいます。江戸期には徳川家康が鷹狩の途次当寺に立ち寄ったことから、門前の道を「権現道」と呼ぶようになったと伝えられています。明治4年(1871)4月の火災によりすべてを焼失してしまいました。
境内掲示による法泉寺の縁起
元亀元年(一五七〇年)得譽上人により開基。本尊は阿弥陀如来。徳川将軍が東金に鷹狩に行くときに三回ほど境内で小休止したといわれている。
前面の細道は家康の通ったみちということから「権現道(ごんげんみち)」と呼ばれている。(境内掲示より)
「千葉県浄土宗寺院誌」による法泉寺の縁起
明治四年(一八七一)四月、近火類焼の災にあい、本堂・観音堂・庫裡・寺宝什物等のすべてを焼失した。(「千葉県浄土宗寺院誌」より)
「市川市内の寺院明細帳」による法泉寺の縁起
創立元亀元庚午年芝増上寺十二世源誉観知国師法弟得誉恵公開基、天正十九年辛卯年東照宮上総国東金御遊猟ノ砌当寺ヘ御休行被被在故ニ、今北ノ方ニ字権現道ト云伝ヘシ所アリ(「市川市内の寺院明細帳」より)
法泉寺の周辺図
参考資料
- 「千葉県浄土宗寺院誌」
- 「市川市内の寺院明細帳」