奉免山安楽寺|日蓮宗最初の尼寺、地名奉免由来の寺
安楽寺の概要
市川市奉免町にある日蓮宗寺院の安楽寺は、奉免山と号します。安楽寺は、病に悩んだ後深草院の姫宮が遁世し当地に遁れて隠棲、富木播磨守胤継公(常修院日常)が法華堂を建立した法要に姫宮も参堂、姫宮が日蓮上人に加持を依頼したところ病は平癒したことから、姫宮は入信し大禮尼日國上人となり建長7年(1255)当寺を創建したといいます。なお、姫宮隠棲の報せを受けた執権北条時頼は当地の年貢公役を奉免し、姫宮への扶持としたことから当地を奉免と称すようになったといいます。
山号 | 奉免山 |
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院号 | - |
寺号 | 安楽寺 |
本尊 | - |
住所 | 市川市奉免町128 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
安楽寺の縁起
安楽寺は、病に悩んだ後深草院の姫宮が遁世し当地に遁れて隠棲、富木播磨守胤継公(常修院日常)が法華堂を建立した法要に姫宮も参堂、姫宮が日蓮上人に加持を依頼したところ病は平癒したことから、姫宮は入信し大禮尼日國上人となり建長7年(1255)当寺を創建したといいます。なお、姫宮隠棲の報せを受けた執権北条時頼は当地の年貢公役を奉免し、姫宮への扶持としたことから当地を奉免と称すようになったといいます。
「日蓮宗寺院大鑑」による安楽寺の縁起
(大観には建長7(1255)年10月の創立。開山日国とある)(「日蓮宗寺院大鑑」より)
「千葉縣東葛飾郡誌」による安楽寺の縁起
大柏村誌
奉免に安楽寺(日蓮宗)開山は大禮尼日國上人(後深草院の姫宮)法華宗最初の尼寺なり。
(餘録)
安楽寺由来記
下総国葛飾郡奉免村に尼寺あり即ち奉免山安楽寺にして、法華宗最初の尼寺なり、開山は大禮尼日國上人と申奉り又恭しくも人皇第八十八代後深草院の姫宮にして、常盤井の宮に居まし給ふ可きに、御病の故に、御舟に召され、風のまにまに漂ひ着せ給ふ此地は中古までも、磯邊にてありし故浦人かしづき奉りて、其由鎌倉に訴へ奉れば、時の執權北條時賴の御計ひとして、當村の年貢公役を奉免し給ひて、この所の料に當てられ、まめやかに守ち奉るべきよし、命ぜられ、村の名を改めて、奉免村と號せんとなり。其後富木殿法華堂を造營し給ひ、大工を請じ奉れば、一百日の法輪をてんじ給ふに、いかなる佛縁やましましけん、姫宮もこの法席にまゐらせ給ひて、宗祖にかくと願はせ給ひければ御加持なし給はりしに、日あらずして、病即消滅のしるし、あらたに、平癒ましまし給ふ、姫宮には歓喜の餘り御弟子とならせ給ふ、縁の御髪を剃落し黒染衣と替らせられ、法名を日國上人と給はらせければ、聴聞の人々も宗旨を改むるもの數知れず、羽生の御所を一宇の道場となし、村の名を山號として、即奉免山安楽寺と名付給ふ、是こそ日本法華一宗門最初の尼と申奉るなり。其後壽積りは正應四年六月六日安祥として御遷化なりぬ。即ち寺の西の岡に葬り奉り今御墓山と敬ひ稱せり。下略。(「千葉縣東葛飾郡誌」より)
安楽寺の周辺図
参考資料
- 「日蓮宗寺院大鑑」
- 「市川市内の寺院明細帳」
- 「千葉縣東葛飾郡誌」