如意山所願寺|市川七福神の恵比寿
所願寺の概要
市川市宮久保にある日蓮宗寺院の所願寺は、如意山と号します。所願寺は、都からやってきた病に罹っていた女性を当寺(草庵)に住まわせ、中山法華経寺で祈祷を受けて病から快復、女性は出家し、寛文6年(1666)一寺を建立したと伝えられます。市川七福神の恵比寿です。
山号 | 如意山 |
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院号 | - |
寺号 | 所願寺 |
本尊 | 一塔両尊四士 |
住所 | 市川市宮久保4-12-3 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
所願寺の縁起
所願寺は、都からやってきた病に罹っていた女性を当寺(草庵)に住まわせ、中山法華経寺で祈祷を受けて病から快復、女性は出家し、寛文6年(1666)一寺を建立したと伝えられます。
境内掲示による所願寺の縁起
所願寺縁起
寛文六年(一、六六六)の創立で、開山は常修院日常上人、開基禅那院日忠上人を仰いだ。
江戸時代、一人の貴女が病を罹って都を離れ、近くの美女ヶ崎に流れ着いた。村人はこの貴女を助け所願寺に住まわせた。のちに近くの村に移り住み、法華経を信仰して、中山法華経寺で祈祷を受け、病癒え、出家し一寺を建立したと伝えられる。
貴女の守り本尊、天神様を海へ落してしまったが、後に海の中から見つかった処から、海中出現の天満宮を所願寺守り本尊として残していった。後に白幡神社に合祀されたが、昭和六十一年(一、九六八)当山第二十二世住職によって天導大明神として再勧請された。(縁日は毎月二十五日)
また当地は、所願寺貝塚として、市跡に指定されている。(境内掲示より)
「日蓮宗寺院大鑑」による所願寺の縁起
寛文6(1666)の創立。開基日心。親師法縁。一人の貴女が病を得て都をはなれ、遠く奉免の美女ヶ崎に漂着した。村人はこれを助け天満神社に住まわせ、のち一宇(所願寺)を建立したという。天満神社は後年白幡神社に合祀されたが、所願寺は現存する。(「日蓮宗寺院大鑑」より)
「市川市内の寺院明細帳」による所願寺の縁起
所願寺
開闢日順大徳(「市川市内の寺院明細帳」より)
所願寺の周辺図
参考資料
- 「日蓮宗寺院大鑑」
- 「市川市内の寺院明細帳」