皆原山本将寺|市川七福神の大黒天
本将寺の概要
市川市大野町にある日蓮宗寺院の本将寺は、皆原山と号します。本将寺は、当地の豪族曽谷氏の曽谷四郎右衛門直秀(日宝上人)が日蓮聖人に入信、邸宅を道場とし、正応五年(1292)に創建したといいます。市川七福神の大黒天です。
山号 | 皆原山 |
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院号 | - |
寺号 | 本将寺 |
本尊 | 曼荼羅 |
住所 | 市川市大野町2-919-1 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
本将寺の縁起
本将寺は、当地の豪族曽谷氏の曽谷四郎右衛門直秀(日宝上人)が日蓮聖人に入信、邸宅を道場とし、正応五年(1292)に創建したといいます。
境内掲示による本将寺の縁起
當山は、鎌倉時代の正応五年(1292)日蓮聖人の直弟子、日宝上人が開かれたお寺です。日宝上人は地元豪族曽谷氏の一族(四郎右衛文直秀)で、日蓮聖人が現在の中山法華経寺で説教されているのを聞き熱心な信者となりました。聖人没後、出家され自邸を開放し法華経弘通の道場とされ本将寺を開きました。大野の地には、平将門の出城があったとされ、将門ゆかりの地と言われています。本将寺の「将」はそこからきているとも伝えられています。火災により寺宝などを焼失するも正徳年間(1711~16)客殿、庫裏を再建、昭和六十二年(1987)には布教拠点拡張の為、當地に移転し、新しく墓苑を開設しました。本堂の勧請形式は一塔両尊四士、四菩薩、祖師象で、ご本尊の両脇には、鬼子母神、十羅刹女、大黒天、三十番神を祀ります。
大黒天は市川七福神として親しまれています。(境内石碑より)
「日蓮宗寺院大鑑」による本将寺の縁起
(大観には正応5(1292)年8月の創立。開基日宝とある)(「日蓮宗寺院大鑑」より)
「市川市内の寺院明細帳」による本将寺の縁起
安國寺
弘長年中仝郡中山ニ於テ宗祖教日弘法ノ砌仝郡曽谷村ノ領主曽谷次郎教信ノ一族曽谷四郎右衛門直秀右教信一分ノ信仰ヲ募リ宗祖ノ徒弟トナルニ及ヒ随テ其身モ信徒ノ者ニ列リ其后正応年中ニ自ラ剃髪シテ日寶ト号スイ居宅ヲ転シテ一寺ヲ創造シテ開基トナリ元亀年中ニ信徒ノ面々成功ヲ以テ再建仕爾来又正徳年中ニ客殿庫裡ヲモ修繕シ以テ存在セリ其外不詳(「市川市内の寺院明細帳」より)
本将寺の周辺図
参考資料
- 「日蓮宗寺院大鑑」
- 「市川市内の寺院明細帳」