和泉鳥見神社|市民俗文化財のいなざきの獅子舞
和泉鳥見神社の概要
和泉鳥見神社は、印西市和泉にある神社です。和泉鳥見神社の創建年代等は不詳ながら、物部氏族がこの地方を開拓した際に祖先饒速日命を祀ったのではないかと推定される鳥見神社の社ともされ、近世では慶安3年(1650)に社殿が再興されています。旧和泉村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し村社に列格、和泉地内で祀られていた諸社を合祀しています。また当社の秋季祭礼で奉納されるいなざきの獅子舞は印西市無形民俗文化財に指定されています。
社号 | 鳥見神社 |
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祭神 | 饒速日命 |
相殿 | - |
境内社 | 三嶋神社、三峰神社、天満神社、琴平神社、浅間神社、足尾神社 |
住所 | 千葉県印西市和泉622 |
祭日 | おびしゃ1月7日、いなざき獅子舞奉納秋分の日 |
備考 | - |
- 和泉鳥見神社鳥居
- 和泉鳥見神社社殿
- 和泉鳥見神社本殿
- 境内社三嶋神社
- 境内社天満神社
- 境内社出羽三山供養塔
- 境内社出羽三山供養塔
- 境内社琴平石柱
- 境内社浅間神社
- 和泉鳥見神社庚申塔群
- 和泉鳥見神社庚申塔群
- 和泉鳥見神社庚申塔群
和泉鳥見神社の由緒
和泉鳥見神社の創建年代等は不詳ながら、物部氏族がこの地方を開拓した際に祖先饒速日命を祀ったのではないかと推定される鳥見神社の社ともされ、近世では慶安3年(1650)に社殿が再興されています。旧和泉村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し村社に列格、和泉地内で祀られていた諸社を合祀しています。境内社のうち、三嶋神社は元禄12年(1699)の創祀、天満神社は江戸時代に勧請されたもので和泉字天神山から遷座、琴平神社は嘉永3年(1850)に和泉村の武藤利右衛門・新左衛門が勧請、足尾神社は明治30年武藤利右衛門が勧請したといいます。
境内掲示による和泉鳥見神社の由緒
和泉鳥見神社
鳥見神社は、印旛沼北岸内に集中して分布し、その範囲は古代の言美郷に比定される。一説に大和国城上郡鳥見白庭山の鳥見大明神を勧請したといわれ、物部氏の祖神を祭神に祀る。八世紀初めに成立した『常陸国風土記』には、景行天皇が下総国印旛郡の鳥見の丘より霞の郷を望んだとの古伝がある。
当社の由緒は詳らかでないが、本殿は慶安三年(一六五〇)九月十四日に再興され、文化十三年(一八一六)五月十五日に建替え、弘化四年(一八四七)仲夏月二十日に修繕を行い、昭和五十三年七月吉日千葉ニュータウン造営に伴う共有地売却俸償金をもって修築されて現在にいたる。
旧和泉村の鎮守。毎年秋分の日に「いなざき獅子舞」奉納神事が行われる。(境内掲示より)
千葉県神社名鑑による和泉鳥見神社の由緒
創建年など不詳だが、慶安三庚寅年九月一四日再興、文化一三年丙子年五月一五日建替え。(千葉県神社名鑑より)
「印旛郡誌」による和泉鳥見神社の由緒
村社鳥見神社
和泉村字宮作にありて饒速日命を祭る慶安三庚寅年九月十四日再興文化十三丙子年五月十五日三建弘化四年次丁未仲夏下乾二十日修繕社殿間口一間三尺五寸奥行一間二尺境内六百坪(民有地第一種)あり神官は守佳治郎にして氏子五十戸を有し管轄廳まで七里十八町とす境内三社あり即
一、三嶋神社 大山祇命を祭る元禄十二巳卯年十二月創立建物竪五尺横五尺五寸
二、天満神社 菅原道眞魂を祭る由緒不詳建物間口五尺二寸奥行一間
三、琴平神社 須佐男命を祭る由緒不詳建物間口二間奥行三間(神社明細帳)(「印旛郡誌」より)
和泉鳥見神社所蔵の文化財
- いなざきの獅子舞(市指定無形民俗文化財)
いなざきの獅子舞
いなざきの獅子舞は、毎年秋分の日(元は彼岸の入り日)、和泉鳥見神社の秋まつりに奉納される。この獅子舞は風流系統に分類される三匹獅子舞に道化を加えたもので、全体としては勇みの姿である。
かつての円光院地内に勢揃いした獅子は道笛の音にのって道化の露払いで社前にいたる。
「道化の舞」に始まり、雌獅子、中獅子、大獅子の順で「四方固めの舞」、次いで道化と獅子が四方の花笠の周囲をまわる「花笠めぐりの舞」を行い、そして舞人の交替した大獅子が「綱くぐりの舞」を演じて納めとなる。
「いなざき」とは「稲先」に由来し、稲の収穫を前にして豊作を感謝する意味をもつといわれている。また、舞の各所で演じられる道化の所作には、稲の豊作にからめて、子孫繁栄を祈る気持ちが込められている。(印西市教育委員会掲示より)
和泉鳥見神社の周辺図