慈眼山南陽院|印西大師八十八所
南陽院の概要
印西市笠神にある天台宗寺院の南陽院は、慈眼山勝軍寺と号します。南陽院野創建年代等は不詳ながら、千葉氏の家臣原備前守が戦死した地に建立されたといいます。享保6年(1721)には、当寺の臨唱法印が印西大師八十八所を創設、印西大師八十八所44番です。
山号 | 慈眼山 |
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院号 | 南陽院 |
寺号 | 勝軍寺 |
住所 | 印西市笠神726 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
南陽院の縁起
南陽院野創建年代等は不詳ながら、千葉氏の家臣原備前守が戦死した地に建立されたといいます。享保6年(1721)には、当寺の臨唱法印が印西大師八十八所を創設しています。
「印旛郡誌」による南陽院の縁起
南陽院
笠神村字船戸にあり天臺宗比叡山派にして中本寺泉倉寺末なり阿彌陀如来を本尊とす勧請年月不詳堂宇間口七間奥行六間半庫裡間口八間半奥行五間半境内一千百坪(民有地第一種)あり住職は高橋泰明にして檀徒八百五十人を有し管轄廳まで八里なり境内佛堂二宇あり即
一、大師堂 元三大師を本尊とす由緒不詳建物間口二間奥行二間なり
二、觀音堂 三十三觀音を本尊とす由緒不詳建物間口二間半奥行二間なり(寺院明細帳)
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南陽院
笠神字船戸の丘にあり千葉氏の臣原備前守の城址にして今尚壘塹壁壕の蹟と見るべきものあり前庭に三義侠者の碑あり・・・ (「印旛郡誌」より)
「全国寺院名鑑」による南陽院の縁起
千葉氏の一族原豊前守戦死の地に建立され、境内地は城址と伝う。(「全国寺院名鑑」より)
南陽院の周辺図
参考資料
- 印旛郡誌