大聖寺|いすみ市大原にある天台宗寺院

猫の足あとによる千葉県寺社案内

明王山大聖寺|関東三十六不動、国重要文化財の浪切不動堂

大聖寺の概要

天台宗寺院の大聖寺は、明王山と号します。大聖寺は、宝治2年(1248)地元の漁師小浜道猷の妻女お丹が海中で不動明王像を発見、霊感顕著なので当地に勧請したと伝えられ、関東三十六不動35番となっています。現在の不動堂堂宇は、貞享3年(1686)に清水寺観音堂建替に際して貰い受けて移築したもので、大正5年国重要文化財に指定されています。

大聖寺
大聖寺の概要
山号 明王山
院号 -
寺号 大聖寺
住所 いすみ市大原10676
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



大聖寺の縁起

大聖寺は、宝治2年(1248)地元の漁師小浜道猷の妻女お丹が海中で不動明王像を発見、霊感顕著なので当地に勧請したと伝えられ小濱不動・浪切不動とも称され著名です。また、このことに因み丹が浦の地名が起こったともいいます。現在の不動堂堂宇は、貞享3年(1686)に清水寺観音堂建替に際して貰い受けて移築したもので、大正5年国重要文化財に指定されています。

「大原町史」による大聖寺の縁起

明王山大聖寺(天台宗)根方区
当寺の不動尊は、宝治二年(一二四八)丹が浦の海中より出現したと伝えられる。『大原町誌』によれば、往時この里にお丹なる孝女がおり、或日海藻集め中に重いものがあったので引き上げてみると日頃信ずる仏像であった。これを仮の草堂に安置、信仰したところ霊感顕著なので信仰する人々が増え今の地に勧請、丹が浦の名もこれによるという。
また不動堂は貞享三年(一六八六)、清水観音堂を乞いうけて移したもので、一〇〇〇余年を経たものといわれ、大正五年国指定重要文化財に指定された。(「大原町史」より)

「稿本千葉縣誌」による大聖寺の縁起

阿遮羅山大聖寺
同町(夷隅郡大原町)大字中魚落郷字根方に在り、境内百三十五坪、天台宗にして俗に小濱不動と稱す。寺傳に云ふ、本尊不動は古昔丹浦の海中より出現せる者なりと。石像にして潮の干満に從つて燥湿す、人之を奇とす。里傳に云ふ、今の堂宇はもと鴨根村の清水觀音堂にして、古健田番匠の造りし所なり、改造の際舊物の滅せんことを惜み、乞ひ得て此に移すと。今雨湿に敗られたりと雖も獅子像等の彫刻宛も活きたるが如く、觀古の資と爲すに足れり。不動堂は桁行三間梁間三間、單層にして屋根は四柱造茅葺なり、大正五年五月特別保護建造物に編入せらる。(「稿本千葉縣誌」より)


大聖寺所蔵の文化財

  • 大聖寺不動堂一棟附厨子一基(国指定重要文化財)

大聖寺不動堂一棟附厨子一基

海岸に近く太平洋を望み、浪切り不動と呼ばれて、特に、漁業関係者の信仰が厚い。伝説によれば、宝治二年(一二四八)、地元の漁師小浜道猷の妻が海藻を獲るとき海中で不動明王像を発見し、安置したという。
堂は、正面三間、側面三間で、屋根は茅葺の寄棟造である。軒は二重繁垂木、正面中央は桟唐戸、両脇及び側面は舞良戸と板壁になっている。また、組物についた拳鼻、頭貫の木鼻、蓑束、板蟇股など禅宗様を主とした和様との折衷様式を示している。
建立年代を示す正確な資料はないが、様式から見て室町時代のものと推定されている。(いすみ市教育委員会掲示より)

大聖寺の周辺図


参考資料

  • 「大原町史」
  • 「稿本千葉縣誌」