守光山金光寺|上総介広常の菩提寺だったとの伝承
金光寺の概要
天台宗寺院の金光寺は、守光山と号します。金光寺の創建年代等は不詳ながら、往古は金剛院と号する真言宗寺院だったといわれ、上総介広常の菩提寺だったとも伝えられています。その後いつしか天台宗寺院に改められ、正長元年(1428)に中興され金光寺と号したといいます。
山号 | 守光山 |
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院号 | - |
寺号 | 金光寺 |
住所 | いすみ市大原3828 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
金光寺の縁起
金光寺の創建年代等は不詳ながら、往古は金剛院と号する真言宗寺院だったといわれ、上総介広常の菩提寺だったとも伝えられています。その後いつしか天台宗寺院に改められ、正長元年(1428)に中興され金光寺と号したといいます。
「大原町史」による金光寺の縁起
守光山金光寺(天台宗)造式区
当山は貝須賀の滝泉寺の末寺で、開基年月、開基者は不詳であるが、正長元年(一四二八)に中興された。寺伝によると、当山はもと金剛院という真言派の寺院であったが、のち天台宗に変ったという。近くに狐塚と称する地があったので狐塚金光寺ともいわれた。
「寺宝に野狐の媚珠ありしが今は失す・・・。相伝えて上総介広常の男の菩提寺たりしとて同遺物旧記等あり、且その追福のためとて建てられし五輪塔などもありしが、天保年間回録(火事)の災により旧記並に五輪塔まで烏有に帰せりという。」
本尊は阿弥陀如来であるが、ほかに大日如来坐像と村内の文珠院(屋号)にあった不動明王及び両童子がある。(「大原町史」より)
金光寺の周辺図
参考資料
- 「大原町史」