軽井沢八幡神社|鎌ケ谷市中軽井沢の神社
軽井沢八幡神社の概要
軽井沢八幡神社は、鎌ケ谷市中軽井沢にある神社です。軽井沢八幡神社は、延宝5年(1677)に検地が実施されて軽井沢新田が成立、諏訪社が祀られていた当地に宝暦3年(1753)創建したといいます。江戸期には宝泉院が別当を勤め、軽井沢新田の鎮守として祀られてきました。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 応神天皇 |
相殿 | - |
境内社 | 山神・天満宮・稲荷大明神・待道大権現・道祖神など |
住所 | 千葉県鎌ケ谷市中軽井沢2001-1 |
祭日 | - |
備考 | - |
軽井沢八幡神社の由緒
軽井沢八幡神社は、延宝5年(1677)に検地が実施されて軽井沢新田が成立、諏訪社が祀られていた当地に宝暦3年(1753)創建したといいます。江戸期には宝泉院が別当を勤め、軽井沢新田の鎮守として祀られてきました。
「鎌ケ谷市史(上巻)」による軽井沢八幡神社の由緒
八幡神社-軽井沢新田-
軽井沢新田字御新田に所在する同新田の鎮守である。宝暦三年(一七五三)の勧請と伝えられ、氏子の戸数は一二戸である(以上「県神社明細帳」)。文化十三年(一八一六)の「軽井沢新田差出明細帳」(『市史』資料編Ⅲ・上No七六)によると、佐津間村の宝泉院が別当寺であった。また、同時に作成された村絵図には、同社に位置に諏訪神社と記されているが、その理由は不明である。そのほかの来歴は不詳である。(「鎌ケ谷市史(上巻)」より)
「鎌ヶ谷市史資料編(民俗)」による軽井沢八幡神社の由緒
八幡神社
軽井沢字落山二〇〇一番地ノ一に鎮座す。軽井沢新田の村氏神で、応神天皇を祀る。宝暦三年(一七五三)の勧請という。氏子総代は二人である。社殿は昭和五十三年に新築した。境内社に、山神・天満宮・稲荷大明神・待道大権現・道祖神などがあり、社殿の後ろに富士塚が築かれている。(「鎌ヶ谷市史資料編(民俗)」より)
「鎌ヶ谷市史別巻」による軽井沢八幡神社の由緒
軽井沢の八幡神社は、一八世紀半ばの宝暦三年(一七五三)に勧請されたと記されている。軽井沢は、一七世紀後半のいわゆる「大開発の時代」に、下総台地上に多数形成された新田村の一つで、延宝五年(一六七七)に検地が実施され、近世村として成立した。「神社明細帳」の記述のみであると、成立後約八〇年間は鎮守が存在しなかったことになる。他方、文化十三年(一八一六)の「軽井沢新田絵図」(「市史』資料編Ⅲ・上)には、八幡神社の位置に「諏訪大明神」と記されている。誤記とも考えられるが、八幡神社勧請以前の鎮守を記した可能性も指摘できる。(「鎌ヶ谷市史別巻」より)
「印旛郡誌」による軽井沢八幡神社の由緒
無格社八幡神社
根村字落山にあり應神天皇を祭る寶暦三年八月十五日の勧請にて舊軽井澤新田の村社にて當村根村村社の一に御座候間口三尺二寸奥行二尺九寸境内一千二百七十八坪(小金谷舊右番外九人の共有地)あり氏子十一戸を有し管轄廳まで七里七町十二間三尺なり(神社明細帳)(「印旛郡誌」より)
軽井沢八幡神社の周辺図
参考資料
- 「鎌ケ谷市史(上巻)」
- 「鎌ヶ谷市史資料編(民俗)」
- 「鎌ヶ谷市史別巻」
- 「印旛郡誌」