道野辺八幡神社|鎌ケ谷市道野辺中央の神社
道野辺八幡神社の概要
道野辺八幡神社は、鎌ケ谷市道野辺中央にある神社です。道野辺八幡神社の創建年代等は不詳ながら、平将門が中沢城を築く際に鬼門除けとして奉斎したとも、鎌倉時代に中沢城構築に際して奉斎したとも伝えられます。江戸期の資料に記載されていることから、少なくとも明和年間(1764-1772)には奉斎されていたことが明らかだとされ、一間四方の小祠として祀られていたものの、昭和49年に社殿が建立されて以降諸施設を整え、現在は規範神社に指定されています。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 譽田別命、息長足姫命、比賣神 |
相殿 | - |
境内社 | 山神・天満宮・稲荷大明神・待道大権現・道祖神など |
住所 | 千葉県鎌ケ谷市道野辺中央5-6-10 |
祭日 | 春祭り5月5日、秋祭り10月15日 |
備考 | - |
道野辺八幡神社の由緒
道野辺八幡神社の創建年代等は不詳ながら、平将門が中沢城を築く際に鬼門除けとして奉斎したとも、鎌倉時代に中沢城構築に際して奉斎したとも伝えられます。江戸期の資料に記載されていることから、少なくとも明和年間(1764-1772)には奉斎されていたことが明らかだとされ、一間四方の小祠として祀られていたものの、昭和49年に社殿が建立されて以降諸施設を整え、現在は規範神社に指定されています。
千葉県神社名鑑による道野辺八幡神社の由緒
創建年代は不詳だが、旧別当妙連寺文書によると、明和年間すでに鎮祭されていたことが明らかである。伝承によれば、鎌倉時代、中沢城(東城・西城)の構築にあたり城地鬼門除け・兵馬守護の神として創祀されたといわれる。境内周辺に中沢城の土塁と空掘が現存す。また一説に、平将門が、市川大野の御所に入り中沢城を営むにあたり、城地鎮護・弓矢守護・勝運繁栄の神として平安時代に鎮祭されたものともいう。社地に樹木が繁茂し、社殿端正、諸施設完備し、鎌ケ谷全市及び周辺近郷の総守護神として崇敬される。神社新報社刊『神詣で』に記事所載。(千葉県神社名鑑より)
境内掲示による道野辺八幡神社の由緒
当社は鎌ヶ谷市を代表する大神社として道野辺八幡宮と尊称され、市民及近隣住民より崇敬されて居ります。
御祭神は八幡大神と申上げ誉田別尊ほかを御奉祀して居ります。御創建は悠久の歴史の中で生成流転栄枯盛衰により貴重な資料が散逸、世情人心の変遷に遭って史実と伝承伝説が風化し今俄に断定する事は出来ないが俚伝によれば、中沢城(東城西城)の築城に関わりこの地を城地の鬼門と目し厄除け方除けの神、弓矢兵馬の神、文武勝運守護の神として鎌倉時代に、又土地の伝説として平将門が下総を征服し市川市大野の地に宮殿を建てた折中沢にも築城したと云う事が有りその時鎮祭されしものと云う。(境内掲示より)
「鎌ケ谷市史(上巻)」による道野辺八幡神社の由緒
記載なし(「鎌ケ谷市史(上巻)」より)
「鎌ヶ谷市史資料編(民俗)」による道野辺八幡神社の由緒
八幡神社
道野辺字北下(現道野辺中央五丁目六番)に所在する。祭礼は五月五日と十月十五日である。昭和四十九年に社殿が建立される以前には、一間四方位の小祠があった。(「鎌ヶ谷市史資料編(民俗)」より)
道野辺八幡神社の周辺図
参考資料
- 千葉県神社名鑑
- 「鎌ケ谷市史(上巻)」
- 「鎌ヶ谷市史資料編(民俗)」
- 「鎌ヶ谷市史別巻」