根頭神社|鎌ケ谷市道野辺の神社
根頭神社の概要
根頭神社は、鎌ケ谷市道野辺にある神社です。根頭神社の創建年代等は不詳ながら、三橋氏(藤原左衛門丞)が元亀年間(1570-1573)ころ京都から当地に移住した際、その氏神として奉斎したと伝えられます。明和8年(1771)に三橋孫六が土地を寄贈し、道野辺の鎮守として祀られてきました。明治維新後の社格制定に際し村社に列格、現社殿は千葉県護国神社の仮本殿を譲り受けたものだそうです。
社号 | 根頭神社 |
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祭神 | 根頭大神(ネズ) |
相殿 | - |
境内社 | 古峰神社・妙正大明神・道祖神・稲荷大明神 |
住所 | 千葉県鎌ケ谷市道野辺50 |
祭日 | 10月19日 |
備考 | - |
根頭神社の由緒
根頭神社の創建年代等は不詳ながら、三橋氏(藤原左衛門丞)が元亀年間(1570-1573)ころ京都から当地に移住した際、その氏神として奉斎したと伝えられます。明和8年(1771)に三橋孫六が土地を寄贈し、道野辺の鎮守として祀られてきました。明治維新後の社格制定に際し村社に列格、現社殿は千葉県護国神社の仮本殿を譲り受けたものだそうです。
境内掲示による根頭神社の由緒
御由緒
当社は道野辺地区の氏神・鎮守の神として古来当地区及び周辺住民、産土様尊称崇敬するお社なり。
御祭神は根頭之大神(国津神・大地主の神)と申上げる。創建の年代は不詳なれども当境内に続き「西山遺跡」あり、縄文中期(阿玉台式)に属する住居跡、土器、石器、土製器を出土し、上古より此の地区に住み、生活を営みし事、史家の認むる処なり。
当地の伝承の一つによれば、この地に草分け八軒衆あり。この討ち三橋孫六家の遠祖藤原左衛門丞故あって京の公家を離れ東国に下向するに当り公家当主より然るべき御墨付と共に大神の神璽を授けられ、この地に奉持、八軒衆に詢り自らの土地を寄進社地と為し一社を営み根頭神社と称したるに肇まると云う。
御本殿は旧千葉県立師範学校の御真影奉安殿にして一時、千葉県護国神社の假本殿たりし由緒ある建造物なり。
例大祭十月十九日。神社総代以下、数日参籠禊斎の上、素朴ながら伝統の祭事を行う。
宮薙詣七月十五日。氏子総出仕し、境内の除草、社殿内外の清掃を行い、神恩感謝の参拝を行う。(境内掲示より)
千葉県神社名鑑による根頭神社の由緒
創建年代不詳。当社境内の続きに「西山遺跡」があり、縄文中期阿玉台式に属する住居跡・土器・石器・土製品を出土している。上古よりこの地区に人が住み生活を営んでいた。伝承によれば、当地草分け八軒衆の内、三橋孫六家の祖先藤原左衛門丞が故あって公家を離れ、東国に下向するにあたり、公家当主より御墨付と共に大神の神璽を授けられこの地に奉持、八軒衆と詢り自らの土地を寄進、社地として一社を営み、根頭神社と称した。現社殿は旧県立師範学校の奉安殿で、県護国神社の仮殿だった建造物である。(千葉県神社名鑑より)
「鎌ケ谷市史(上巻)」による根頭神社の由緒
根頭神社-道野辺村-
道野辺村字下西山に所在する同村の鎮守である。由緒・来歴などは不詳である。氏子の戸数は四三戸である(以上「県神社明細帳」)。(「鎌ケ谷市史(上巻)」より)
「鎌ヶ谷市史資料編(民俗)」による根頭神社の由緒
根頭神社
道野辺字下西山五〇番地に鎮座する。旧村社。祭神は根頭神である。創立年代は不詳であるが、元亀年間(一五七〇~七三)ころ、三橋氏が京都よりこの地に移住したときに、その氏神として伝えたものという伝承があり、その後明和八年(一七七一)三橋孫六が土地を寄贈し、以来地域の氏神として祀るようになったといわれている。戦前は三橋家が代々神社の管理をしていた。境内社に、古峰神社・妙正大明神・道祖神・稲荷大明神がある。
西一人、東一人、駅二人、向原二人の計六人が氏子総代となり、三年交代で神社の諸役を務める(「鎌ヶ谷市史資料編(民俗)」より)
根頭神社の周辺図
参考資料
- 千葉県神社名鑑
- 「鎌ケ谷市史(上巻)」
- 「鎌ヶ谷市史資料編(民俗)」